11.3.

     〔雨ニモマケズ〕

   雨ニモマケズ
   風ニモマケズ
   雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
   丈夫ナカラダヲモチ
   慾ハナク
   決シテ瞋ラズ
   イツモシヅカニワラッテヰル
   一日ニ玄米四合ト
   味噌ト少シノ野菜ヲタベ
   アラユルコトヲ
   ジブンヲカンジョウニ入レズニ
   ヨクミキキシワカリ
   ソシテワスレズ
   野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
   小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
   東ニ病気ノコドモアレバ
   行ッテ看病シテヤリ
   西ニツカレタ母アレバ
   行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
   南ニ死ニサウナ人アレバ
   行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
   北ニケンクヮヤソショウガアレバ
   ツマラナイカラヤメロトイヒ
   ヒデリノトキハナミダヲナガシ
   サムサノナツハオロオロアルキ
   ミンナニデクノボートヨバレ
   ホメラレモセズ
   クニモサレズ
   サウイフモノニ  
   ワタシハナリタイ


以前にも書いたことがありましたが
ふたたび「雨ニモマケズ」について・・・。

私は賢治の言いたいことは、なんとなくわかっているつもりでした。

でも、現実として
人から「ホメラレモセズ、クニモサレズ」にいることなど
できるでしょうか。
そのような存在になるのは、
社会と関わっている以上、不可能なことのように思います。

なぜなら、どれだけ自分がそう望んでも
どう思うかは相手次第なのです。

よほど空気のような存在にならなければ無理・・・・?
いえ、空気でさえ、ごくたまに思い出しては
「空気がなければ生きていけない」とありがたがってくれる人もいる・・・。
それなら山奥で仙人のような生活をすればいいかもしれませんが
それでは誰の役に立つこともできないので
あまり存在の意味はない様な気がします。
賢治はそんなことを望んだわけではないと思うのですが・・・

あることがきっかけで、
もしかして、これは逆説法なのではないか?
という考えが浮かびました。

相手に褒められも苦にもされないのではなく
褒められようが苦にされようが、全く影響されない自分である、ということ。
そのような境地にあることなのではないか。

人によく思われたい、
感謝されたい、
少しでも賢く思われたい、
優しいと思われたい・・・

人の反応を気にして日々すごしていたとき
どうしようもない無力感や焦燥感に襲われること度々・・・
そんな時は、もう誰とも関わりたくない、とまで思うことも。

そんなとき、心に聞こえてきた声は
「それでいいじゃないですか」


私はどう繕っても私でしかない、
装うことで疲れるより
ありのままの自分をさらけだし、やりたいことをやろう、
言いたいことを言おう、と思ったら
気持ちがとても楽になりました。

感謝されるから良いことをするのではなく
そうすべき、と思うからする。
反応が見たくてするのではなく
自分がしたいからする。

それならたとえ人から何も返ってこなくても
平らな心でいられる。
穏やかに笑ってすごせる。
それが「イツモシヅカニワラッテヰル」ということなのかもしれないなぁ・・・
そんなふうに感じたのです。

とはいえ、煩悩のかたまりみたいな今の自分。
なかなか「サウイフモノニ」なることはできませんが・・・
・・・ガンバリマス。
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# by signaless5 | 2010-03-23 22:18 | 思うこと

賢治とBOBは・・・

少し前から、ツィッターなるものを始めてみました。
(「読んでるブログ」からもとべますので覗いてみてくださいネ)
そのなかで以前「宮沢賢治とニール・ヤングの共通点は、二人とも満月の下で踊る」
とつぶやいたことがあります。

きっと自分の好きになるものには
何か共通点があるはずだ、と考え
思いついたのが、その「満月の下で・・・」というものだったのですが。

それなら、宮沢賢治とボブ・ディランとは
なにか共通点があるだろうか・・・と。
しばらくは何も浮かびませんでしたが
ふと、凄い(?)共通点を見つけてしまいました。

それは、「作品が進化する」ということです。

宮沢賢治の作品は、発表されたものそうでないものに関わらず
何度も手入れされ、変化しています。
しかもかなり大幅に変えられることはざらにあります。

しまいには詩などは、ごっそりとそぎ落とされて
数行の文語詩へと・・・。
賢治にとっては作品は「生き物」だったのでしょうか。

ボブ・ディランも、同じようなことが言えると思います。
彼の曲は、最初にリリースされた時と
ライブで演奏される時とでは、
まるで全く違う作品のようなものがたくさんあります。
リズムもテンポもアレンジも、原形をとどめていないのです。

時代や自身の気持ちや考えによって
静かなアコースティックギターの弾き語りが
激しいロックになったり
ジャズやオールドアメリカンスタイルのように渋くなったりと
変化していくのです。

しかも若い頃につくった歌詞でも
何年たっても古くならないとか
私自身が、何年もたってからその意味や深さに気づくとか・・・。

自分自身の変化とともに
作品も変化させる。
しかしその中には不変の芯のようなものがちゃんと存在している。

「変えない」ということは実は古くなってしまう、ということであり
実は変わってしまうことで、
「変化させる」ことは実は流れに合っていつまでも新鮮で新しい、
つまり「本当の意味で変わらない」ということかもしれません。

生まれも育ちも性質もまったく違う様に見える二人の
意外な、しかし実に稀な共通点だと思うのですが・・・

「こじつけだっ」とか、「それがどうしたっ」という声が聞こえてきそうですね・・・(^^;)
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# by signaless5 | 2010-03-22 20:33 | 思うこと

Well, they'll stone ya when you're trying to be so good,
They'll stone ya just a-like they said they would.
They'll stone ya when you're tryin' to go home.
Then they'll stone ya when you're there all alone.
But I would not feel so all alone,
Everybody must get stoned.

  彼らは石で打つ 貴女がよくなろうとするときに
  彼らは石で打つ 言ったとおりに
  彼らは石で打つ 家に帰ろうとするとき
  彼らは石で打つ そこに一人ぼっちでいるとき
  しかし私は一人ではないと感じる
  誰も皆 石で打たれるべきだ


3月18日の夜
私の目の前にはボブ・ディランがいました。
オープニングに飛び出したのは
夕方になって降り出した雨にちなんだ
「雨の日の女」という景気のいい曲・・・。
私は幸せに包まれていました。

ピンクパープルのシャツに黒のジャケット、
黒のパンツにはピンクの二本のストライプ。
黒い帽子を被った今年69歳のボブは、
とてもかっこよく、素敵でした。

旅芸人、ミンストレル(吟遊詩人)。
その言葉がぴったりの最近のボブ。
それも超一流の!
ライブを観ていてまさにそう感じました。

これ以上ないほど近くでボブを見ることができた
(前から3列目、ステージ中央やや左寄りで
ボブがキーボードを弾くボブの顔と正面になる位置!)
というのもあるでしょうが
私にとってはこれほど満足したライブはありません。

こんなにかっこいい“もうすぐ70歳”はいない!?
80年代後半から「ネバー・エンディング・ツアー」と称される、
年間100回以上のライブを続けているボブ。
演奏曲は日替わりで変化し
今まだ途中の今回の日本(現時点で東京の7公演が残っています)
での14公演だけでも、通算でいったい何曲歌われるのかわからない。
こんなミュージシャンが他にいるだろうか。


ステージを去り際、メンバーと一列に並んだ時のボブの表情を
私は忘れられません。
メンバー紹介以外は一言も発しないのが最近のボブ流ですが
この時も同じ。
でも、なんとも幸せそうな満足そうな色が
そのブルーの目の中にありました。

何も言わなくても
愛と感謝の気持ちが伝わってきました。

彼の人生、生き方そのものが
私にたくさんのものを与えてくれている、
そんなことを再認識できた
ほんとうに素晴らしいひとときでした。

※冒頭の「雨の日の女」Rainy Day Women という曲については
様々な解釈がある=Wikipedia
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# by signaless5 | 2010-03-21 12:06 | 音楽

手凍えだ・・・「風林」

  風林    

     (かしはのなかには鳥の巣がない
      あんまりがさがさ鳴るためだ)
   ここは艸があんまり粗(あら)く
   とほいそらから空気をすひ
   おもひきり倒れるにてきしない
   そこに水いろによこたはり
   一列生徒らがやすんでゐる
     (かげはよると亜鉛とから合成される)
   それをうしろに
   わたくしはこの草にからだを投げる
   月はいましだいに銀のアトムをうしなひ
   かしははせなかをくろくかがめる
   柳沢(やなぎざわ)の杉はなつかしくコロイドよりも
   ぼうずの沼森(ぬまもり)のむかふには
   騎兵聯隊の灯も澱んでゐる
   《ああおらはあど死んでもい》
   《おらも死んでもい》
     (それはしよんぼりたつてゐる宮沢か
      さうでなければ小田島国友
         向ふの柏木立のうしろの闇が
         きらきらつといま顫えたのは
         Egmont Overture にちがひない
      たれがそんなことを云つたかは
      わたくしはむしろかんがへないでいい)
   《伝さん しやつつ何枚、三枚着たの》
   せいの高くひとのいい佐藤伝四郎は
   月光の反照のにぶいたそがれのなかに
   しやつのぼたんをはめながら
   きつと口をまげてわらつてゐる
   降つてくるものはよるの微塵や風のかけら
   よこに鉛の針になつてながれるものは月光のにぶ
   《ほお おら……》
   言ひかけてなぜ堀田はやめるのか
   おしまひの声もさびしく反響してゐるし
   さういふことはいへばいい
     (言はないなら手帳へ書くのだ)
   とし子とし子
   野原へ来れば
   また風の中に立てば
   きつとおまへをおもひだす
   おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
   鋼青壮麗のそらのむかふ
    (ああけれどもそのどこかも知れない空間で
     光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか
     …………此処(こご)あ日あ永(な)あがくて
         一日(いちにぢ)のうちの何時(いづ)だがもわがらないで……
     ただひときれのおまへからの通信が
     いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ)
   とし子 わたくしは高く呼んでみやうか
    《手凍(かげ)えだ》
    《手凍えだ?
     俊夫ゆぐ凍えるな
     こないだもボダンおれさ掛げらせだぢやい》
   俊夫といふのはどつちだらう 川村だらうか
   あの青ざめた喜劇の天才「植物医師」の一役者
   わたくしははね起きなければならない
    《おゝ 俊夫てどつちの俊夫》
    《川村》
   やつぱりさうだ
   月光は柏のむれをうきたたせ
   かしははいちめんさらさらと鳴る



1923年6月3日の日付のあるこの詩は
『無声慟哭』3部作の後、
つまり妹トシが亡くなってから約半年後になって
やっと書かれた詩の第一号、といってもいいのでしょうか。
ただし、この詩と「白い鳥」の2作は
『無声慟哭』の章に含まれています。

私は、高校生の頃この詩を読み
詩の最後の部分、「俊夫」の手が凍える、というくだりが
とても好きでした。
好き、というより、あこがれのようなものでしょうか。

生徒達を連れて岩手山へ行ったときの情景ですが
その一人の手が凍えてしまった。
ぼんやりとトシのことを考えていた賢治は
その声を聴いて、跳ね起きる。

このあと賢治はどうしたのだろうか。
俊夫の手を握って温めてやったろうか。
それともポケットに入れてやっただろうか・・・。

私はなぜ、「俊夫」でなかったのだろう。
冷たい指先を賢治に温めてもらう俊夫でなかったのだろう。
そんなバカなことを考えている高校生だった。

今の私が、「手が凍えた」と言えば
「甘えるな!」といって差し出した手をひっぱたかれるのがオチだよな~。

そんなことを考えていたら淋しくなった。

しかし。
ふと、ちがうぞ、と思った。

私は、誰かに凍えた手を温めてもらうのではなく
誰かの手を温めてあげられるようになりたいと。

たとえ自分がどんな悲しみの底にいようと
賢治がそうであったように・・・。

そんなふうに感じたのです。

賢治さん、私はあの頃より
 少しは進歩できたでしょう・・・?
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# by signaless5 | 2010-03-12 20:59 |

早池峰神楽

昨日の日経新聞の夕刊(3月9日付)に
「早池峰神楽、ロシア公演へ」の記事が。

(前略)現在、サンクトペテルブルグに住むエカテリーナさんが早池峰神楽と出会ったのは、岩手大学大学院に留学していた約3年前。躍動感あふれる演者の身のこなしと打ち鳴らされる太鼓やかねのリズムが「地球の鼓動」のように感じたという。
その時の感動が忘れられす、ロシアでの公演を実現させたいとの思いを持ち続け、サンクトペテルブルグ大の日本文化研究会に勤務する傍ら、留学時代の日本の友人らを頼りに交渉に奔走した。
出演するのはエカテリーナさんと交流のあった花巻市の大償神楽保存会のメンバー。(以下略)


1996年の宮澤賢治生誕100年祭に行ったとき
花巻の宮沢賢治記念館前の前庭では胡四王神楽が行われていました。
その時の感動とともに
舞手のなかに眼涼しい美少年がいて
私はその子ばかり目で追っていたのを思い出しました・・・。


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# by signaless5 | 2010-03-10 09:44 | 思うこと