羅須地人協会跡の図

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羅須地人協会があったのは、現在「雨ニモマケズ詩碑」の建っている場所です。

この前、本棚を整理していてみつけたファイルの中に
この図面があり、とても懐かしくなりました。

これは、私がまだ高校生で
学校の図書室に通って
賢治関係の本を片っ端から読んでいた頃、
一冊の本の中にこの図面を見つけて
ノートに書き写し、清書したものです。

まだコピー機が普及していなかったので
そうするしかなかったということですが
我ながら健気と言うかマメというか・・・
当時はまだそうだったのですね。

まだ見ぬあこがれの場所。
賢治がひとりで生活をした家。

当時は花巻に行くことは夢のまた夢・・・。
せめてその間取りや位置を知り写しを手元に置くことで
想像の「羅須地人協会」に出入りし遊んだものでした。
ほんとうに何度も夢にまで出てきたほどです。

それから何年も経って、花巻に行き、
初めて実際に建物をこの眼で見て
そこに足を踏み入れたときの感動は今も忘れられません。
当時は2階にも上がることができ、
オルガンも弾くことができました。

賢治の想いがいっぱいつまった家。
その畳に座ってみて、
賢治がここで寝起きしたのかと思うと胸が震えたのです。

この図面は、詩碑の建っている場所と
羅須地人協会建物があったであろう位置が
重ねて描かれています。
賢治が植えたギンドロや
井戸や炊事場の位置も描かれているのがいいですね。

ただし東側の芝生花壇らしきものは現在ではもうありませんし
井戸の位置も以前と少し違うような気がします。

この図面が何の本に載っていたのかを
記録しておらず、わからないのが残念です。
原本はたしかモノクロで、私が適当に色も付けていたのだと
記憶していますが・・・。

なにぶん遠い昔の話です・・・
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# by signaless5 | 2010-04-09 22:45 | 賢治

    
二十日月かざす刃は音無しの
     虚空も二つときりさぐる
            その龍之助

風もなき修羅のさかひを行き惑ひ
     すすきすがるるいのじ原
           その雲のいろ

日は沈み鳥はねぐらにかへれども
     ひとはかへらぬ修羅の旅
            その龍之助


        (「大菩薩峠の歌」)
      

今日、4月8日は賢治が詩「春と修羅」を書いた日です。

この「大菩薩峠の歌」は、
賢治が、愛読していた中里介山の小説『大菩薩峠』に
触発されて作詞作曲したものです。

「日は沈み鳥はねぐらにかへれども」というところは
文語詩五十篇にある〔きみにならびて野に立てば〕という詩を
思い出します。

鳥は巣を作る、つまり人はみな暖かい家庭をつくるけれど
修羅にはそれは許されない、ということでしょうか。
机龍之助と自分の姿を
どこか重ねていたように思います。

ひとはかえらぬ修羅の旅・・・
この歌を聴きながら私はよく一緒に口ずさむのですが
賢治は何を想ってこの詞を書き、
歌っていたのだろう・・・と思うと
いつも途中で歌えなくなってしまいます。



<〔きみにならびて野に立てば〕先駆形>

 きみにならびて野に立てば
 風きらゝかに吹ききたり
 柏ばやしをとゞろかし
 枯れ葉を由貴にまろばしぬ

 峯の火口にただなびき
 北面に藍の影置ける
 雪のけぶりはひとひらの
 火とも雲とも見ゆるなれ

 「さびしや風のさなかにも
 鳥はその巣を繕はんに
 ひとはつれなく瞳澄みて
 山のみ見る」ときみは云ふ

 あゝさにあらずかの青く
 かゞやきわたす天にして
 まこと恋するひとびとの
 とはの園をば思へるを
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# by signaless5 | 2010-04-08 21:17 |

羅須地人協会の床板

夕べのこと。
ほろ酔い加減で気持ちよく帰宅すると
「宮澤賢治学会イーハトーブセンター」の会報第40号が届いていました。

さっそく手に取り、
毎年9月の定期大会懇親会にだされる料理について書かれた
中野由貴さんの「懇親会のおいしいものたち」を読んで
「うわ、『藁のオムレツ』おいしいそう・・・」とか
「あ~『白金豚の塩釜焼プリオシン海岸風』、食べたい~」などと
たらふく食べてきた後なのに、
また頭の中はおいしそうな食べ物のこととでいっぱいになる始末・・・。


ところが、その後、思わず絶句するような記事を読み
いまもそのショックから立ち直れないでいます。

外山正さんの「羅須地人協会の床板についての報告」という投稿エッセイです。

花巻農業高校に現在、移築保存されている羅須地人協会は
賢治が農民の中にありたいと願い独居自炊生活をした由緒ある建物です。

その報告の内容は
同校の100周年事業の記念事業として
高校敷地内に賢治像が建立されたのと同時に
その一環として、協会の建物の床が
ごくふつうのフローリングに張り替えられてしまった、というものです。

掲載されている写真を見ると
たしかに、張り替える前の床板は幅もまちまちで、
まさしく賢治の歩いたであろう床そのもの、
つまり賢治の『足あと』がそのまま残っているものであったはずです。
その後、修復されている部分があったとしても
恐らく、すべて取り替えられたわけではなく
一部を治しただけであったと思います。
外山氏も述べられているように、
万一、それらがすべて
「賢治後の世代に属するものであったとしても、
往時の状況をよく表現していた文化財としての価値があったはず」です。

それを無造作にすべてを引っぱがしてしまい、
どこにでもあるフローリングにすり替えてしまうとは・・・・

外山氏がその事実を知って、
背筋がぞっとし、膝の力が抜けた、というように書かれていますが
きっとほんとうに卒倒してしまうくらい驚かれたことでしょう。
私もまたその報告を読み、
頭から大噴火が起こり、
その後身体中の力が抜ける思いでした。

思い起こせば、昨年、13年ぶりに花巻を訪れたとき
当然のように花巻農業高校にも足を運んだのですが
無情にも「しばらく土日は公開をしません」の張り紙の前に涙をのみ
ガラス窓におでこをくっつけて必死で中をのぞき込んでくるだけで
我慢するしかなかったこと・・・。
その時、何か違和感を感じたことと無縁ではないような気がするのは
思い過ごしでしょうか・・・。

いったい、どういうものの考え方をすれば
こういうことができるのか、教えて欲しいのです。

床の老朽化が進み、
お客様に何かあってからでは
責任の所在に困る、というのであれば
もっと他に手だてもあったはずではないでしょうか。
例えば床下に補強を施工して、表面の板はそのままにしておくことも
現代の技術をもってすれば可能ではないのでしょうか。
その為の予算がないというのであれば
全国にその旨を募れば
賢治の歩いた床を保存するためならなんとかしたいという人は
私を含めて何人も存在するはずだというのは
私の勝手な妄想でしょうか・・・。

「文化財」という名がつくつかない以前の問題だと思うし
賢治ファンの想い、というものが理解されないのであれば
いったい、この「羅須地人協会」の建物を管理体制を
このままにしておいて良いのだろうかと
賢治愛好家の末席にかじりついている私であっても
疑問に思ってしまいます。

賢治の住んだ家が、少しずつ入れ替わって
まったく別の建材にうまれかわってしまう前に
一刻も早く、自分の眼でしっかりと見て
触って愛惜しんで来なければいけない、と真剣にそう思ってしまいます。

何年かして行ってみたら
「雨風が入り込むといけないのでこのように改善致しました」との説明書きと共に
サッシ窓が燦然と輝いている・・・
なんてことの決してないように、ただただ、祈るだけです。
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# by signaless5 | 2010-04-03 16:15 | 思うこと

好きなフレーズ〈1〉

x はねえ、

   顔の茶いろな子猫でさぁ

y の方はさ、
y の方はさ

   自転車の前のラムプだとさぁ……



日常のふとした拍子に
賢治の詩が 頭に浮かぶことがあります。

そのような
印象に残っているフレーズ、好きなフレーズを
ときどき、思いつくまま挙げてみようと思っています。

まずは私の大好きなこのフレーズのある詩から。

1928,6,19の日付のある
 「神田の夜」  という作品です。

雨降る夜に騒然とした都会のなかで
詩人はひとり幻想の世界に遊ぶ・・・

数式に子猫の顔や自転車のランプを当ててしまうなんて!!
今でこそナンセンスは広く理解されますが
当時において、この賢治のアバンギャルドはいったい
どこから来たのでしょうか。
なんて素敵!とため息がでそう。

賢治の淋しさと街の色とりどりの光が夜と雨に溶け合い
なんとも甘い感傷・・・が私の胸にひろがるのです。


   神田の夜

                  一九二八、六、一九、

   

   十二時過ぎれば稲びかり

   労れた電車は結束をして

   遠くの車庫に帰ってしまひ

   雲の向ふであるひははるかな南の方で

   口に巨きなラッパをあてた

   グッタペルカのライオンが

   ビールが四樽売れたと吠える

       ……赤い牡丹の更沙染

         冴え冴え燃えるネオン燈

         白鳥の頸 睡蓮(ロトス)の火

         雲にはるかな希望をのせて

         いまふくよかにねむる少年……

   雲の向ふでまたけたたましくベルが鳴る

   ベルがはげしく鳴るけれども

   それも間もなくねむってしまひ

   睡らないのは

   重量菓子屋の裏二階

   薄明 自働車運転手らの黄いろな巣

   店ではつめたいガラスのなかで

   残りの青く澱んだ葛の餅もひかれば

   アスティルベの穂もさびしく枯れる

            x八乗マイナスyの八乗をぼくが分解したらばさ

            残りが消えてxマイナスyが12になったので

            すぐ前の式から解いたらさ

            xはねえ、

               顔の茶いろな子猫でさぁ

            yの方はさ、

            yの方はさ

               自転車の前のラムプだとさぁ……

   いなづまがさし

   雨がきらきらひかってふれば

   ペーヴメントも

   道路工事の車もぬれる

       ……そらは火照りの

         そらは火照りの……

           (二十年后の日本の智識階級は

            いったいどこにゐるのであらう)

            Are you all stop here?

                said the gray rat.

            I don't know.

                   said Grip.

            Gray rat = is equal to Shuzo Takata

            Grip equal......

            Grip なんかどうしてとてもぼくだけでない

       さうです夜は

       水色の水が鉛管の中へつまってゐるのです

       ぼくとこの先生がさぁ

       日本語のなかで英語を云ふときは

       カナで書くやうごくおだやかに発音するとさう云ってたよ

   湯屋では何か

   アラビヤ風の巨きな魔法がされてゐて

   夜中の湯気が行きどこもなく立ってゐる

   

     シャッツはみんな袖のせまいのだけなんだよう

     日活館で田中がタクトをふってゐる
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# by signaless5 | 2010-03-29 21:32 |

大河ドラマ「龍馬伝」を観たいな~と思いつつ見そびれてしまって
途中から観るのも癪なので
結局そのまま観ないでしまっています。

その代わりといっては何ですが
今、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んでいます。
もちろんこれは小説なので
「竜馬」をそのままを「龍馬」として、あるいは事実として受け入れることはできないにしても
ある程度は幕末の日本を知ることはできると思います。

第一巻の中程で、横須賀の長州藩の陣場に偵察に行った竜馬と
桂小五郎が出会う場面があります。
瞬時にお互いの本質を見抜き
才能を認め合い信頼しあう二人。

「この坂本竜馬だけは、たったいま眼をさまされた。もっとも眼をさましてもなにも見えちょりませぬ。しかしわしの眼もいずれ見えるじゃろ」
「坂本さん」
桂小五郎はいきなり竜馬の手をにぎった。小五郎は、十分に若いのだ。ふつふつとこみあげてくるものに堪えかねて、手がふるえた。
「やろう」

日本の未来を憂い、今はまだ漠然とした使命感を抱いているだけ。
それでも何かをしようと誓わずにはおれない二人の若者。

むむ・・・
どこかで見たような場面だ・・・。
と私の胸によみがえってきたのは
宮沢賢治と保阪嘉内の岩手登山での「誓い」。

できるできない、というのは二の次で
まずは日本(世界)のために自分は何かをするのだという強い想いを抱くこと。

そして、それを確認し共有する相手に出会えるというのは
幸せなことなんだと、あらためて思いました。

まぁ、そこまで大それた大志を抱かないまでも
私も、若い頃からたくさんの出会いを心がけ
それらを大事にしていたなら
もうちとましな方に進んでいただろうな~

・・・と、後悔しても始まらないので
これからの人生、もっとまじめに進んで行きたいと思います。

  Ah , but I was so much older then ,
  I'm younger than that now.
  ああ、あのときわたしは今よりもふけていて
  今はあのときよりも ずっとわかい
       (My Back Pages by BOB DYLAN)
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# by signaless5 | 2010-03-28 15:05 |