馬籠・妻籠

二日目は馬籠・妻籠に行きました。
かつて栄えた中山道の宿場町。
馬籠は島崎藤村の出身地で
藤村記念館もあります。
「木曽路はすべて山の中である」の言葉通り、
このあたりは幾重にも重なる山、山、山。
昔の人はどこまでも歩いていったのだと考えると
凄いな~と感心すると同時に
私も含めて、現代人はなんだかひ弱に思えます。


ますは馬籠宿へ。

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馬籠入り口

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水車

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馬籠は勾配があります

馬籠から数キロ離れて妻籠宿があります。
私たちは車でワープ。
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妻籠にも水車が

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郵便局

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古い建物が軒を連ねています。

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写ってないけど石垣にユキノシタが満開だったり。

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丸い五平餅
味噌がとっても美味しかった!

ぶらついていたら、軒先の風鈴が突然ちり~んと鳴りました。
まるでそれが合図のように、
ふっとタイムスリップするような不思議な感覚に陥り…
前世に、ここを旅姿で通ったこのかも…なんてね。

馬籠と妻籠、このように貴重な町並みが保存されていることに感慨深いものがありました。
馬籠の方は、下の入り口にドンと大きなお土産屋さんがあったりして
どちらかというと観光地的な感じ。車は無料で停めさせてくれます。
妻籠にもお店はありますが、風情を生かた店構えです。
その代わり、駐車代が必要です。
でも、きっと保存・保護のために使われているのだから
それは然るべきと納得できます。

どちらも素敵なところですので
時間があれば両方行かれるのがお勧め。


土曜は上高地、日曜は馬籠・妻籠と
今回は、よき日本の確認と発見、といった感じの旅行でした。
まだまだ知らないだけで
日本には素晴らしいところが沢山あるのだと思います。

小学生の娘が帰宅してから
「ディズニーランドよりこっちに行って楽しかった」と言うのです。
じつはディズニーに行く話もあったので…。

親がいいと思うものを
子供達もいいと思ってくれるのはうれしいことです。
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# by signaless5 | 2010-06-06 11:39 |

上高地

2010年5月29日晴れ

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大正池と焼岳


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河童橋と穂高岳


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岳沢口湿原


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梓川と六百山


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明神池


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明神橋


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ニリンソウ

 
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エゾムラサキ



番外編
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猿の親子


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明神池の奥にて
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# by signaless5 | 2010-06-05 21:18 |

寮美千子さんの『夢見る水の王国』上・下巻(角川書店)を読み終えました。
素晴らしい物語でした。

美しいイメージがこれでもかと押し寄せる。
まるで、賢治の
「ダイアモンドのトラストが 獲れないふりのストックを みんないちどにぶちまけた」というふうで・・・

少女が海岸で拾い集めた宝物を
パズルのように並べて作り出すモザイク模様・・・
まるで作中のそのシーンのように
一つ一つが輝いて美しいのに、
それらによって造り上げられた模様もまた
壮大な美しいひとつの物語になっている・・・
そんなふうにも感じた。

ただイメージが美しいだけでなく
そのなかに私は様々な意味を見つける。
すべてが生きている。
心に響く言葉があちこちにちりばめられている。

マミコはマミとミコという二つの分身になってしまう。
黒猫のヌバタマ。その眼はトパーズとサファイア!
そして角をとられた木馬のヨミは白馬になる。
世界の果てに名前を捨てに行こうとするマミ。
それを取り戻そうとするミコ。
傷ついたマミを守るヌバタマ。
くじけそうになるミコを励ますヨミ。

夢見る水の王国とは何処か、
マミとミコとはいったい誰なのか。
これがいったいなんの物語なのかを
私が最後に知ったとき、
そこからが本当の物語のはじまりであることに気づいた。


いい本、良かった本は沢山あるけれど
出会えたことに心底感謝したくなる本(=作家)というのは
そう多いわけではない。
私はこの寮美千子というひとに出会えて
ほんとうによかった・・・。
もっと早く知りたかった、とも思うが
きっと今が私にとっては最良の時だったに違いない。

(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

賢治のいう、幾重にも重なった世界を
この人はこの人の言葉で伝えてくれる。


「童児(わらし)こさえる代わりに書いたのだもや」
といって賢治はたくさんの“子供たち”を残した。
その子たちから生まれたのがこの人の作品。
つまり、寮美千子の作品は賢治の孫に違いない・・・!
なんていうと、もしかしてご本人は不本意でしょうか。
それでも私は、作品を読みながらそう思えて仕方がなかったのです。


寮さんは、インドへの旅で
私の知る限りでも、3つの異なった物語を生み出した。
そのうちの2つ『楽園の鳥』とこの『夢見る水の王国』が
ほぼ同時に作者の中で進行していたことに驚く。
なぜなら、それらはまったく違う趣の作品。
人は多面性を持つけれど
こんな風にみごとにちがう形でつきつけられると
私はすっかりその魅力に捕らわれてしまう。

私の言葉ではとても寮美千子の魅力を
うまく伝えられないのがほんとうにもどかしい。
それより作品を読んで頂くのが一番なのでしょう。

次には岩手の遠野が舞台の新作が予定されているそうですが、
私には待ち遠しくてたまらないのです。
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# by signaless5 | 2010-05-23 12:34 |

韮崎の美味しいもの

先日は甲府で講演会に参加した後
韮崎で一泊しました。

私はたいていルートイン韮崎に泊まるのですが
その斜向かいにある和菓子屋「うさぎや」さんのお菓子は絶品です。

ジャンボ大福が有名かな?
私は「うさぎまんじゅう」も大好きです。
あんドーナツも美味しい!
・・・ということはたぶん、
ここのお菓子はどれも美味しいと思います!

保存料など添加物は使われていないとのこと。
日持ちはしませんが、こだわりをもって
愛情こめてつくられているのですね。
あんは甘すぎず、小豆の味がしっかりわかる。
皮もおいしい。
このバランスが絶妙。

私の住む街は、抹茶の産地ということもあり
和菓子屋さんがとても多いところですが
私としては、ここ、うさぎやさんにかなうところはありません。

もし、このお店がウチの近所だったら
きっと毎日通っちゃって
とんでもないことになってるはず・・・♪( *´∇`)_○○○○

韮崎の近くにお越しの際は
ぜひ一度寄ってみて下さいね。
人気のお店なので午後には売り切れてしまうこともあるので
早めに行ったほうがいいかもしれません。


参考ブログ
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# by signaless5 | 2010-05-21 13:02 |


保阪嘉内は甲府中学一年の時、ハレー彗星をスケッチしました。
1910年(明治43年)のことです。

今年はちょうどその100年後であることから、
今回の講演『ハレー彗星百周年記念企画 保阪嘉内が見た星空』が
韮崎市のアザリア記念会によって企画されました。


5月15日土曜日、
甲府市鶴舞公園内の甲府城趾・恩賜林記念館にて行われた
その講演会に私も参加してきました。

正午に新幹線で静岡へ、
それからワイドビューふじかわで甲府まで。
到着は4時。
迎えに来てくれたKちゃんと会場入りし、準備を少し手伝いました。

6時すぎ、地元のガイドさんの案内で謝恩塔に登って、
西の空を望みました。
お天気も良く、ちょうど夕陽が甲斐駒ヶ岳に落ちるところで
嘉内の描いたスケッチの山々がくっきりと見えて、あちこちで感嘆の声。
すぐ眼の前は甲府中学の寄宿舎があった場所で、
やはり嘉内はその辺りから、
ハレー彗星を観察しスケッチしたのに違いありません。

その後、恩賜林記念館に戻って講演会。
レトロで素敵な雰囲気の建物です。

最初に、中学生の嘉内と校長の大島正健が登場!
(アザリア記念会のM氏とS氏が扮しています)
当時の嘉内をとりまく状況を粋な演出で説明してくれました。

ちなみに、大島正健校長は札幌農学校の第一期生で、
クラーク博士の指導を受けた方です。
(有名な「少年よ、大志を抱け!」というのは正健が訳したのだそうです)
さらに、その頃の英語教師が野尻抱影で、
天文の世界では有名な「星の文学者」と呼ばれる方です。
嘉内はその抱影からハレー彗星のことを聞き、
自分も観察したのだと思われます。
嘉内は非常に恵まれた環境で中学時代を過ごしたのですね。


そして嘉内の次男・保阪庸夫氏は黒い帽子(賢治のような)を被って登場!
子供の頃の嘉内を中心に語ってくれました。
嘉内は小さい頃、石を拾って集めたり、草花を庭に植えてみたりして
遊んだということですが・・・はて、どこかの誰かとよく似ていますね。
そして農民に混じって土いじりが好きであったと。
その中で農村改革の夢を、小さい頃から抱くようになった。
芝居や芸術にも興味を持ち、
農民はこういうものに触れて楽しむべきだとの考えを持ったとも。
嘉内が亡くなった時、庸夫氏は10歳です。
それまでの間に父・嘉内といろんな話をした、とのことで
様々なことを鮮明に記憶されていることに、いつも驚きます。

親友が亡くなった時、嘉内は「早世論」なるもので
その死を悼んだという話もされていましたが、
これは、「人はやるべきことをやり楽しんだのちは、潔く次の世代に譲って
早く逝ってしかるべき」というものだそうです。
一見乱暴な考えのようですが
私はこれは、
「人生、その時々でせいいっぱい生きることが大事」
ということなのではないかな、と思います。
その嘉内自身も、41歳の若さでこの世を去るのですが
与えられた生を懸命に生きたのではないでしょうか。

そして次に、サイト『賢治の事務所』でお馴染み
宮沢賢治学会の加倉井厚夫氏による「保阪嘉内が見たハレー彗星」の講演。
まず、嘉内がスケッチした場所がほぼ特定された経緯を説明。
先ほど、実際に駒ヶ岳から地蔵・観音・薬師岳の連なりを見てきたので
実感として納得できました。

当時の日にちと時刻ごとにハレー彗星の位置を表した図や
スケッチに書かれた日付などから
嘉内が観察した日時を推測。
それだけでなく、嘉内がどういう手順でスケッチをしたかも推理されて、
非常に興味深い内容でした。

それと、野尻抱影が描いたスケッチと、嘉内のものとの
彗星の尾ほ方向がなぜ違うのかも解き明かしてくれて
まったく天文知識のない者にも非常にわかりやすく、
面白く楽しい講義でした。

奇しくも、嘉内がスケッチした日と同じ場所に
私たちがさっき見た夕陽が落ちていった・・・
ということはちょっと感動的でした。

こんな先生が、学校にいてくれたら
子供達はみんな星や宇宙に興味をもち、
未来の天文学者が増えるに違いないのに・・・と思いました。

思えば、一枚のスケッチ。
そこに詰まっている情報の多さ。

嘉内の書いた文字、
「銀漢ヲ行ク彗星ハ夜行列車ノ様ニニテ 遙カ虚空ニ消エニケリ」

賢治のいた花巻からは天候が悪く、
ハレー彗星は見えなかったといわれます。
嘉内は賢治に繰り返しその時自分が見た彗星の話をしたに違いありません。

野尻抱影の弟子に草下英明氏という
賢治と星の著書でも有名な天文研究家がおられました。
そして草下氏を師と仰いだのが加倉井さん。
ここにも不思議な巡り合わせが。

100年前に、嘉内が一枚のスケッチを描き
私たちが今そのときのことをあれこれ思い描き
嘉内の想いや賢治の想い、それぞれの人生、
そしてやっぱり、嘉内と出会わなければ
あの賢治はなかっただろうなぁ・・・
なんと素晴らしい出会いだろう、
賢治も様々な人に支えられて生きていた・・・
人と人の繋がり、現在にも続く不思議な繋がり・・・・
そんなことを最後に考えていたら
感無量な気持ちになってしまいました。
振り向いたKちゃん、あれ、この人なんでウルウルしている?と思ったかも・・・?

最後の拍手は盛大に惜しみなく
保阪庸夫氏と
加倉井厚夫氏に送られていました。


講演会終了後、お疲れ様の打ち上げに。
私も「座敷童」と化してこっそり紛れ込んだというわけで、
何故か一人多いぞ・・・と不思議に思われたはず・・・!?

韮崎で一泊し、次の朝あずさ1号に飛び乗って帰路につきました。
ちょっともったいないようなとんぼ返りでしたが
短い時間でも内容はぎゅっと濃縮され
とても充実したひとときを過ごさせて頂いて
おなかも心もいっぱいで帰ってきました。

何かに似てる・・・
そう、岩手=イーハトーブに行ったときのような感覚に似ている!
それもそうですよね。
ここには嘉内さんが生きているのですから・・・。

素晴らしいお話をしてくださった
庸夫先生と加倉井さん、
そしてお世話になった皆さんには
ほんとうに感謝です。

ちょっと(だいぶ?)無理をしてでも
山梨に出かけていって本当によかったと思います。
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# by signaless5 | 2010-05-17 21:52 | 嘉内