「新世界より」

十数年ぶりに、棚からCDを探し出して
ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」を聴きました。

音楽とは、時間も場所も超え、言葉の壁も超えた
人間の根元的なもの、感情や感動を伝える
素晴らしい手段だとあらためて感じます。
(音楽だけでなく、芸術とはそういうものなのかもしれません)

クラシックというと、小学校時代から
音楽の時間に無理矢理聴かせられ
難解でたいくつなもの、取っつきにくいもの、という固定観念を抱きがちです。
国語の授業と同じで、感想を言わされたり書かされたりするので
余計嫌いになる、ということもあったかもしれません。
(少なくとも私はそうでした!)

でも、幸いなことに、賢治を通していくつかの交響曲などを聴くようになってから
その素晴らしさに多少なりとも気づけるようになりました。

なんだ、この高揚感・気持ちよさは、
ビートルズや他のロックなどと同じではないか・・・!
と、思ったことを覚えています。


ドヴォルザークの「新世界より」は
ハミルト・ハーティ指揮・ハレ管弦楽団の演奏によるものが
賢治のレコードコレクションの中にあります。
賢治はこの第2楽章に「種山ヶ原」という歌詞をつけているほどで
よほど好きだったのでしょう。

当時はまだ、一般には交響曲というものが広くは知られていない時代です。
初めて聴いたときの賢治の感動はどれほどだったか。
夢中になってレコードを買い集め
聴きまくっていたようですから
ほほえましくもあり、心から心酔していたんだろうと想像します。
セロも習い、自分たちで楽団をつくろうとさえしていたくらいですから
音楽熱はやはり相当なものだったのかもしれません。

当時の賢治のレコードが蓄音機でどんな音で鳴っていたかは
想像するしかありませんが
この前、賢治の持っていたレコードのいくつかが
復刻されCD化されているのを知り
さっそく取り寄せることにしました。
今はその到着を、首を長くして待っているところなので
届いた暁には、また感想などをアップしたいと思います。


この「新世界より」については
賢治の「銀河鉄道の夜」との関連がよく言われていると思いますが
ほんとうに、全体を通して
汽車が原野を駆け抜けているような
ドラマティックな疾走感で貫かれているような気がします。

この曲を浮かべながら銀河のなかに汽車を走らせた賢治。
なんという壮大なロマンかと、そのことにまず感動します。

賢治はよく、野原や山、麦畑のなかで
突然走り出したり
「ほ~っ」と叫んだり、
はたまた踊ったりしたようですが
そのとき「新世界より」や「田園」などが頭の中でリフレインしていたとしたら
それほどおかしな事でもないような気がします。

今回、私もひさびさに交響曲を聴いてみて、
自然のなかに出て行ったとき
気分がとてもよくて
まわりに誰もいなかったら
手足をふりまわして飛び跳ねたくなっただろうと思うからです。
ただし、この
「まわりに誰もいなかったら・・・」というのが大事。

賢治は友人や生徒がいても
平気でそれをやってしまったのですね。

そこが賢治さんのお茶目なところ・・・!
それくらい、たまらないくらい、
感性の豊かな人だった、と私は思いますが
「変人」と思った人も少なくはないのかもしれません。
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by signaless5 | 2010-04-23 17:00 | 音楽

楽園の鳥

読みかけの本があったので、
それが終わってから読むつもりでしたが、
ちょっとだけ、と思って
最初のページを読み始めたらもう止まらず、
夢中で最後まで読んでしまいました。
「楽園の鳥・カルカッタ幻想曲」(講談社)という
寮美千子さんの本です。

バンコク・カルカッタ・ヒマラヤ・・・と、
自分も主人公ミチカと一緒に、この過酷な旅をしてきたような気がします。


「インドやネパールなどを舞台に主人公が自分探しのため、心の旅をする様子を詩情豊かに描いた長編小説。」(北陸中日新聞)

「脚のない「楽園の鳥」は飛びつづける。ディープ・アジアを旅する恋愛冒険紀行小説」(「BOOK」データベース )

自分探し?恋愛冒険小説?
ちがう様な気がした。
そうとも言えるのかもしれないが
私にはとてもそんな生やさしくものには感じられませんでした。


この小説の舞台はタイ・インドという、
現代の日本に住む我々には非日常的な遙かな異国ではあっても
実は自分のいるこの場所でも、
日々同じようなことが展開しているのではないか。
どこにいてもどこまで行っても、
決して自分から逃れることはできない。
自分を何とかできるのは自分だけ。

わかっていてもまた同じ事を繰り返す。
駄目だと思いながらも、変わることができない。


私にはとてもヘヴィだった。
読んだ後もぐるぐるといろんな事を考えた。

誰もが大なり小なり心に傷を持っているのではないか。
でも、それを他人のせいにしているうちは
決して癒されることはない。
人に頼っているうちは決して立ち直ることはできない。
支えにはなれても、人は人を救うことはできない。

人のせいにして生きるのは、楽だから。
 親のせいでこうなった、
 まわりのせいでこうなった、
 愛情をもらえなかった、
 酷いことをされた、
 望みが叶えられなかった、
 こんなはずじゃなかった・・・。
 戻らない過去のことにこだわって
 しがみついているのは自分。
 後を向いている人には未来は決して見えない。
 前を向くのは怖いかもしれない。
 でも、そうしなければ自分の欲しいものに
 手を伸ばすことはできない。
 取り損ねたものが過ぎ去っていくのをまた一つ、見送るだけ。

読後は、長い旅をしながら、
最後にはまた振り出しに戻ってしまったような強い疲労感。
この後もきっとまたミチカは男に去られ
代わりの男をみつけてすがりつくだけだろう。

疲労の原因は、最初にも書いたように、
私がまミチカに入り込んでしまい
喧噪と混乱の中に飲み込まれ彷徨ってきたから、
というのもあるかもしれません。

「社会にすんなり適応する人間は消費されちゃう。でも、ぼくらは規格外だから消費されない。その代わり、社会からはみだして生きざるを得ない。でもね、だからこそ見えてくるものがある。外側から見なければ、わからないものがね。そうやって見えてきたものをゆっくり社会に還元していけばいい。曲がっているから役に立てるってこともあるんだ。」
そう話すダンの言葉にもミチカは耳を貸すことはない。
彼は次第に狂気にむしばまれていってしまうが
ミチカの世界を裏返した現実の世界では
狂気に陥っているのはほんとうはミチカの方かもしれない・・・
などというのは考えすぎかもしれないですが・・・。


この物語には光が見えない。
最後には一筋の光がみえるはずだと思いながら読んだのだけれど・・・。
ミチカが思い描く幻想のような世界。
彼女はそこから出られない。

出られるのは、ミチカがこの世界を変えようと
本気で思ったときだけなんだろうと思う。

もちろん私もミチカの部分も持っている。
というより、えらそうなことをいいながら
その部分の方が多い。

でも、人は変われるはず。
インドでは神々でさえ複数の顔をもつ。
どの自分になるかは自分が選びとれる。
自分が描きたい物語のなかに入っていくことができるはず・・・と私は思う。

同じもがくなら
前を向いてもがく方がいい。
たとえそれが、無駄に終わったとしても。
叶うことがなかったとしても。
きっと苦しさは同じ。
だったらやるだけやってみようと思える。

・・・なんていいながら
現実には、頭だけで行動が少しも伴っていない自分が
ここにいるのではありますが・・・。
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by signaless5 | 2010-04-18 12:11 |

君の友だち

Carole King(キャロル・キング) James Taylor(ジェイムス・テイラー)が
そろって来日し、14日から武道館でライブをしているようです。
でも今回はどうやら東京・横浜のみ、3回しか公演がないみたいですね。

そのキャロル・キングの曲に
「君は友だち(You've Got A Friend)」というのがあります。
ジェームス・テイラーもカヴァーして、全米1位、グラミー賞を獲得しています。

私はこの曲を聴くといつも
賢治と嘉内の友情のことを思ってしまいます。

どんなに離れていても、君はともだち・・・。

残された嘉内あての73通の手紙を読むと
賢治と嘉内の友情がどんなものだったのかがよくわかります。

思えば私がふたたび賢治にのめり込むきっかけをつくったのも
この73通の手紙の存在でした。
読むたびに、新しい発見があり
深く考えさせられることも多々あります。

他の誰にも言えないようなことが
心友・嘉内になら、はき出せたしぶつけられたでしょう。
手紙のそこここには賢治自身も意識していなかったであろう
深層心理があぶりだされています。
過去も未来も
そこには詰まっています。

真の友情は心地よいことばかりではありません。
真摯ゆえにお互いに傷つけあうこともあるかもしれません。
それでも、この歌にあるような気持ちが
底には絶えず流れている・・・。
二人の友情はきっと
そんなものだったのではなかったでしょうか。

蛇足ですが、
私は何度も何度もこの曲を聴いたので
門前の小僧習わぬなんとか、で
よそ事を考えていても歌えるようになりました。
(ちょっと自慢&自惚)


    君の友だち

 君が落ち込んで悩んでいるとき
 誰かにそばにいてほしいとき
 そしてすべてが何もうまく行かないと感じるとき
 目を閉じて僕のことを考えてみて
 そうしたらすぐに君のところへ行くから
 真っ暗な夜も明るくするために


 ただ僕の名前を呼べばいい
 どこにいようと君に会いに駆けて行くから

 冬,春,夏,秋
 ただ君は僕の名前を呼べばいいんだ
 そうすればきっときっと君のところに行く
 そう、君には友達が居るんだから


 もしも君の頭上の空に
 凍りついた暗雲がたちこめ
 北風が吹き始めても
 気をしっかりもって僕の名前を大声で呼ぶんだ
 僕はすぐに君の部屋のドアをノックしに行くよ

 ただ僕の名前を呼べばいい
 そうすれば、わかるよね、
 僕はどこにいようと
 君に会いに駆けて行くから

 冬,春,夏,秋
 ただ君は僕の名前を呼べばいい
 そうすればきっときっと君のところに僕は行く


 友達が居るっていいことじゃないか
 人は君に冷たくあたるかもしれない
 君を傷つけ 君を見捨て
 もし君が許せば人は君の魂を奪おうとする、
 そう,でも君は決してそんなことさせないはずなんだ

 ただ僕の名前を呼べばいい
 そうすれば、わかるよね、
 僕がどこにいようと
 君に会いに駆けて行くから

 冬,春,夏,秋
 ただ君は僕の名前を呼べばいい
 そうすればきっときっと君のところに僕は行く
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by signaless5 | 2010-04-16 09:30 | 音楽

2,3歳の頃、毎日父とお風呂に入って
「ひょっこりひょうたん島」を歌っていたことを覚えています。

その後15年くらい経ってから観たのが
「イーハトーボの劇列車」です。
それは3月の終わりで、
桜の下を歩いて行ったことを思い出しました。

会員制の観劇会の例会だったので
一般人は観られなかったのですが
母のつてでこっそり裏口から入れてもらいました。
(もう時効ですよね・・・)
その時の賢治役の俳優さんは確か高橋長英さんだったと思います。
その後もTVドラマなどで見かけると
トキめいたりしたものでした。

TVでも放送され、
2度ほど観た記憶があります。
私はとくに矢崎滋さんの賢治も好きでした。

父・政次郎の佐藤慶さんとの口論のシーン、
つまりは保阪嘉内あての手紙に書いた文章を台詞にしたものなどは
じつに印象的でした。

その当時も、
賢治作品や資料を相当、しかも愛情をもって読み込んでいなければ
書けない作品ではないかと感じたのですが
今あらためて思い返しても、やはりほんとうに素晴らしい作品だったと思います。
賢治の生涯のなかでも“上京”に絞ってスポットを当てた、というのは
みごとだと思います。
賢治の生涯において、東京というのはキーポイントにちがいありません。

当時は家庭用VTRなどはなく、
モノラルのテープレコーダーでTV放送を録音し
音声だけを繰り返して聞いたものでした。

今はなんでも録画録音できてしまうし
ミュージシャンのライブでも、その日のうちに
ネットを通じてアップされているような時代・・・
実に便利になりました。

当時のことを思い出して
また「イーハトーボの劇列車」が観たくなりました。
できたら高橋さんか矢崎さんのものを。
NHKさん、やってくれないかな~。
そのうち追悼番組で・・・?

 井上ひさしさん、たくさんの素晴らしい作品をありがとうございました。
 ご冥福をお祈りします。
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by signaless5 | 2010-04-13 22:32 | 思うこと

羅須地人協会跡の図

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羅須地人協会があったのは、現在「雨ニモマケズ詩碑」の建っている場所です。

この前、本棚を整理していてみつけたファイルの中に
この図面があり、とても懐かしくなりました。

これは、私がまだ高校生で
学校の図書室に通って
賢治関係の本を片っ端から読んでいた頃、
一冊の本の中にこの図面を見つけて
ノートに書き写し、清書したものです。

まだコピー機が普及していなかったので
そうするしかなかったということですが
我ながら健気と言うかマメというか・・・
当時はまだそうだったのですね。

まだ見ぬあこがれの場所。
賢治がひとりで生活をした家。

当時は花巻に行くことは夢のまた夢・・・。
せめてその間取りや位置を知り写しを手元に置くことで
想像の「羅須地人協会」に出入りし遊んだものでした。
ほんとうに何度も夢にまで出てきたほどです。

それから何年も経って、花巻に行き、
初めて実際に建物をこの眼で見て
そこに足を踏み入れたときの感動は今も忘れられません。
当時は2階にも上がることができ、
オルガンも弾くことができました。

賢治の想いがいっぱいつまった家。
その畳に座ってみて、
賢治がここで寝起きしたのかと思うと胸が震えたのです。

この図面は、詩碑の建っている場所と
羅須地人協会建物があったであろう位置が
重ねて描かれています。
賢治が植えたギンドロや
井戸や炊事場の位置も描かれているのがいいですね。

ただし東側の芝生花壇らしきものは現在ではもうありませんし
井戸の位置も以前と少し違うような気がします。

この図面が何の本に載っていたのかを
記録しておらず、わからないのが残念です。
原本はたしかモノクロで、私が適当に色も付けていたのだと
記憶していますが・・・。

なにぶん遠い昔の話です・・・
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by signaless5 | 2010-04-09 22:45 | 賢治

    
二十日月かざす刃は音無しの
     虚空も二つときりさぐる
            その龍之助

風もなき修羅のさかひを行き惑ひ
     すすきすがるるいのじ原
           その雲のいろ

日は沈み鳥はねぐらにかへれども
     ひとはかへらぬ修羅の旅
            その龍之助


        (「大菩薩峠の歌」)
      

今日、4月8日は賢治が詩「春と修羅」を書いた日です。

この「大菩薩峠の歌」は、
賢治が、愛読していた中里介山の小説『大菩薩峠』に
触発されて作詞作曲したものです。

「日は沈み鳥はねぐらにかへれども」というところは
文語詩五十篇にある〔きみにならびて野に立てば〕という詩を
思い出します。

鳥は巣を作る、つまり人はみな暖かい家庭をつくるけれど
修羅にはそれは許されない、ということでしょうか。
机龍之助と自分の姿を
どこか重ねていたように思います。

ひとはかえらぬ修羅の旅・・・
この歌を聴きながら私はよく一緒に口ずさむのですが
賢治は何を想ってこの詞を書き、
歌っていたのだろう・・・と思うと
いつも途中で歌えなくなってしまいます。



<〔きみにならびて野に立てば〕先駆形>

 きみにならびて野に立てば
 風きらゝかに吹ききたり
 柏ばやしをとゞろかし
 枯れ葉を由貴にまろばしぬ

 峯の火口にただなびき
 北面に藍の影置ける
 雪のけぶりはひとひらの
 火とも雲とも見ゆるなれ

 「さびしや風のさなかにも
 鳥はその巣を繕はんに
 ひとはつれなく瞳澄みて
 山のみ見る」ときみは云ふ

 あゝさにあらずかの青く
 かゞやきわたす天にして
 まこと恋するひとびとの
 とはの園をば思へるを
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by signaless5 | 2010-04-08 21:17 |

羅須地人協会の床板

夕べのこと。
ほろ酔い加減で気持ちよく帰宅すると
「宮澤賢治学会イーハトーブセンター」の会報第40号が届いていました。

さっそく手に取り、
毎年9月の定期大会懇親会にだされる料理について書かれた
中野由貴さんの「懇親会のおいしいものたち」を読んで
「うわ、『藁のオムレツ』おいしいそう・・・」とか
「あ~『白金豚の塩釜焼プリオシン海岸風』、食べたい~」などと
たらふく食べてきた後なのに、
また頭の中はおいしそうな食べ物のこととでいっぱいになる始末・・・。


ところが、その後、思わず絶句するような記事を読み
いまもそのショックから立ち直れないでいます。

外山正さんの「羅須地人協会の床板についての報告」という投稿エッセイです。

花巻農業高校に現在、移築保存されている羅須地人協会は
賢治が農民の中にありたいと願い独居自炊生活をした由緒ある建物です。

その報告の内容は
同校の100周年事業の記念事業として
高校敷地内に賢治像が建立されたのと同時に
その一環として、協会の建物の床が
ごくふつうのフローリングに張り替えられてしまった、というものです。

掲載されている写真を見ると
たしかに、張り替える前の床板は幅もまちまちで、
まさしく賢治の歩いたであろう床そのもの、
つまり賢治の『足あと』がそのまま残っているものであったはずです。
その後、修復されている部分があったとしても
恐らく、すべて取り替えられたわけではなく
一部を治しただけであったと思います。
外山氏も述べられているように、
万一、それらがすべて
「賢治後の世代に属するものであったとしても、
往時の状況をよく表現していた文化財としての価値があったはず」です。

それを無造作にすべてを引っぱがしてしまい、
どこにでもあるフローリングにすり替えてしまうとは・・・・

外山氏がその事実を知って、
背筋がぞっとし、膝の力が抜けた、というように書かれていますが
きっとほんとうに卒倒してしまうくらい驚かれたことでしょう。
私もまたその報告を読み、
頭から大噴火が起こり、
その後身体中の力が抜ける思いでした。

思い起こせば、昨年、13年ぶりに花巻を訪れたとき
当然のように花巻農業高校にも足を運んだのですが
無情にも「しばらく土日は公開をしません」の張り紙の前に涙をのみ
ガラス窓におでこをくっつけて必死で中をのぞき込んでくるだけで
我慢するしかなかったこと・・・。
その時、何か違和感を感じたことと無縁ではないような気がするのは
思い過ごしでしょうか・・・。

いったい、どういうものの考え方をすれば
こういうことができるのか、教えて欲しいのです。

床の老朽化が進み、
お客様に何かあってからでは
責任の所在に困る、というのであれば
もっと他に手だてもあったはずではないでしょうか。
例えば床下に補強を施工して、表面の板はそのままにしておくことも
現代の技術をもってすれば可能ではないのでしょうか。
その為の予算がないというのであれば
全国にその旨を募れば
賢治の歩いた床を保存するためならなんとかしたいという人は
私を含めて何人も存在するはずだというのは
私の勝手な妄想でしょうか・・・。

「文化財」という名がつくつかない以前の問題だと思うし
賢治ファンの想い、というものが理解されないのであれば
いったい、この「羅須地人協会」の建物を管理体制を
このままにしておいて良いのだろうかと
賢治愛好家の末席にかじりついている私であっても
疑問に思ってしまいます。

賢治の住んだ家が、少しずつ入れ替わって
まったく別の建材にうまれかわってしまう前に
一刻も早く、自分の眼でしっかりと見て
触って愛惜しんで来なければいけない、と真剣にそう思ってしまいます。

何年かして行ってみたら
「雨風が入り込むといけないのでこのように改善致しました」との説明書きと共に
サッシ窓が燦然と輝いている・・・
なんてことの決してないように、ただただ、祈るだけです。
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by signaless5 | 2010-04-03 16:15 | 思うこと