好きなフレーズ〈1〉

x はねえ、

   顔の茶いろな子猫でさぁ

y の方はさ、
y の方はさ

   自転車の前のラムプだとさぁ……



日常のふとした拍子に
賢治の詩が 頭に浮かぶことがあります。

そのような
印象に残っているフレーズ、好きなフレーズを
ときどき、思いつくまま挙げてみようと思っています。

まずは私の大好きなこのフレーズのある詩から。

1928,6,19の日付のある
 「神田の夜」  という作品です。

雨降る夜に騒然とした都会のなかで
詩人はひとり幻想の世界に遊ぶ・・・

数式に子猫の顔や自転車のランプを当ててしまうなんて!!
今でこそナンセンスは広く理解されますが
当時において、この賢治のアバンギャルドはいったい
どこから来たのでしょうか。
なんて素敵!とため息がでそう。

賢治の淋しさと街の色とりどりの光が夜と雨に溶け合い
なんとも甘い感傷・・・が私の胸にひろがるのです。


   神田の夜

                  一九二八、六、一九、

   

   十二時過ぎれば稲びかり

   労れた電車は結束をして

   遠くの車庫に帰ってしまひ

   雲の向ふであるひははるかな南の方で

   口に巨きなラッパをあてた

   グッタペルカのライオンが

   ビールが四樽売れたと吠える

       ……赤い牡丹の更沙染

         冴え冴え燃えるネオン燈

         白鳥の頸 睡蓮(ロトス)の火

         雲にはるかな希望をのせて

         いまふくよかにねむる少年……

   雲の向ふでまたけたたましくベルが鳴る

   ベルがはげしく鳴るけれども

   それも間もなくねむってしまひ

   睡らないのは

   重量菓子屋の裏二階

   薄明 自働車運転手らの黄いろな巣

   店ではつめたいガラスのなかで

   残りの青く澱んだ葛の餅もひかれば

   アスティルベの穂もさびしく枯れる

            x八乗マイナスyの八乗をぼくが分解したらばさ

            残りが消えてxマイナスyが12になったので

            すぐ前の式から解いたらさ

            xはねえ、

               顔の茶いろな子猫でさぁ

            yの方はさ、

            yの方はさ

               自転車の前のラムプだとさぁ……

   いなづまがさし

   雨がきらきらひかってふれば

   ペーヴメントも

   道路工事の車もぬれる

       ……そらは火照りの

         そらは火照りの……

           (二十年后の日本の智識階級は

            いったいどこにゐるのであらう)

            Are you all stop here?

                said the gray rat.

            I don't know.

                   said Grip.

            Gray rat = is equal to Shuzo Takata

            Grip equal......

            Grip なんかどうしてとてもぼくだけでない

       さうです夜は

       水色の水が鉛管の中へつまってゐるのです

       ぼくとこの先生がさぁ

       日本語のなかで英語を云ふときは

       カナで書くやうごくおだやかに発音するとさう云ってたよ

   湯屋では何か

   アラビヤ風の巨きな魔法がされてゐて

   夜中の湯気が行きどこもなく立ってゐる

   

     シャッツはみんな袖のせまいのだけなんだよう

     日活館で田中がタクトをふってゐる
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by signaless5 | 2010-03-29 21:32 |

大河ドラマ「龍馬伝」を観たいな~と思いつつ見そびれてしまって
途中から観るのも癪なので
結局そのまま観ないでしまっています。

その代わりといっては何ですが
今、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んでいます。
もちろんこれは小説なので
「竜馬」をそのままを「龍馬」として、あるいは事実として受け入れることはできないにしても
ある程度は幕末の日本を知ることはできると思います。

第一巻の中程で、横須賀の長州藩の陣場に偵察に行った竜馬と
桂小五郎が出会う場面があります。
瞬時にお互いの本質を見抜き
才能を認め合い信頼しあう二人。

「この坂本竜馬だけは、たったいま眼をさまされた。もっとも眼をさましてもなにも見えちょりませぬ。しかしわしの眼もいずれ見えるじゃろ」
「坂本さん」
桂小五郎はいきなり竜馬の手をにぎった。小五郎は、十分に若いのだ。ふつふつとこみあげてくるものに堪えかねて、手がふるえた。
「やろう」

日本の未来を憂い、今はまだ漠然とした使命感を抱いているだけ。
それでも何かをしようと誓わずにはおれない二人の若者。

むむ・・・
どこかで見たような場面だ・・・。
と私の胸によみがえってきたのは
宮沢賢治と保阪嘉内の岩手登山での「誓い」。

できるできない、というのは二の次で
まずは日本(世界)のために自分は何かをするのだという強い想いを抱くこと。

そして、それを確認し共有する相手に出会えるというのは
幸せなことなんだと、あらためて思いました。

まぁ、そこまで大それた大志を抱かないまでも
私も、若い頃からたくさんの出会いを心がけ
それらを大事にしていたなら
もうちとましな方に進んでいただろうな~

・・・と、後悔しても始まらないので
これからの人生、もっとまじめに進んで行きたいと思います。

  Ah , but I was so much older then ,
  I'm younger than that now.
  ああ、あのときわたしは今よりもふけていて
  今はあのときよりも ずっとわかい
       (My Back Pages by BOB DYLAN)
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by signaless5 | 2010-03-28 15:05 |

11.3.

     〔雨ニモマケズ〕

   雨ニモマケズ
   風ニモマケズ
   雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
   丈夫ナカラダヲモチ
   慾ハナク
   決シテ瞋ラズ
   イツモシヅカニワラッテヰル
   一日ニ玄米四合ト
   味噌ト少シノ野菜ヲタベ
   アラユルコトヲ
   ジブンヲカンジョウニ入レズニ
   ヨクミキキシワカリ
   ソシテワスレズ
   野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
   小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
   東ニ病気ノコドモアレバ
   行ッテ看病シテヤリ
   西ニツカレタ母アレバ
   行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
   南ニ死ニサウナ人アレバ
   行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
   北ニケンクヮヤソショウガアレバ
   ツマラナイカラヤメロトイヒ
   ヒデリノトキハナミダヲナガシ
   サムサノナツハオロオロアルキ
   ミンナニデクノボートヨバレ
   ホメラレモセズ
   クニモサレズ
   サウイフモノニ  
   ワタシハナリタイ


以前にも書いたことがありましたが
ふたたび「雨ニモマケズ」について・・・。

私は賢治の言いたいことは、なんとなくわかっているつもりでした。

でも、現実として
人から「ホメラレモセズ、クニモサレズ」にいることなど
できるでしょうか。
そのような存在になるのは、
社会と関わっている以上、不可能なことのように思います。

なぜなら、どれだけ自分がそう望んでも
どう思うかは相手次第なのです。

よほど空気のような存在にならなければ無理・・・・?
いえ、空気でさえ、ごくたまに思い出しては
「空気がなければ生きていけない」とありがたがってくれる人もいる・・・。
それなら山奥で仙人のような生活をすればいいかもしれませんが
それでは誰の役に立つこともできないので
あまり存在の意味はない様な気がします。
賢治はそんなことを望んだわけではないと思うのですが・・・

あることがきっかけで、
もしかして、これは逆説法なのではないか?
という考えが浮かびました。

相手に褒められも苦にもされないのではなく
褒められようが苦にされようが、全く影響されない自分である、ということ。
そのような境地にあることなのではないか。

人によく思われたい、
感謝されたい、
少しでも賢く思われたい、
優しいと思われたい・・・

人の反応を気にして日々すごしていたとき
どうしようもない無力感や焦燥感に襲われること度々・・・
そんな時は、もう誰とも関わりたくない、とまで思うことも。

そんなとき、心に聞こえてきた声は
「それでいいじゃないですか」


私はどう繕っても私でしかない、
装うことで疲れるより
ありのままの自分をさらけだし、やりたいことをやろう、
言いたいことを言おう、と思ったら
気持ちがとても楽になりました。

感謝されるから良いことをするのではなく
そうすべき、と思うからする。
反応が見たくてするのではなく
自分がしたいからする。

それならたとえ人から何も返ってこなくても
平らな心でいられる。
穏やかに笑ってすごせる。
それが「イツモシヅカニワラッテヰル」ということなのかもしれないなぁ・・・
そんなふうに感じたのです。

とはいえ、煩悩のかたまりみたいな今の自分。
なかなか「サウイフモノニ」なることはできませんが・・・
・・・ガンバリマス。
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by signaless5 | 2010-03-23 22:18 | 思うこと

賢治とBOBは・・・

少し前から、ツィッターなるものを始めてみました。
(「読んでるブログ」からもとべますので覗いてみてくださいネ)
そのなかで以前「宮沢賢治とニール・ヤングの共通点は、二人とも満月の下で踊る」
とつぶやいたことがあります。

きっと自分の好きになるものには
何か共通点があるはずだ、と考え
思いついたのが、その「満月の下で・・・」というものだったのですが。

それなら、宮沢賢治とボブ・ディランとは
なにか共通点があるだろうか・・・と。
しばらくは何も浮かびませんでしたが
ふと、凄い(?)共通点を見つけてしまいました。

それは、「作品が進化する」ということです。

宮沢賢治の作品は、発表されたものそうでないものに関わらず
何度も手入れされ、変化しています。
しかもかなり大幅に変えられることはざらにあります。

しまいには詩などは、ごっそりとそぎ落とされて
数行の文語詩へと・・・。
賢治にとっては作品は「生き物」だったのでしょうか。

ボブ・ディランも、同じようなことが言えると思います。
彼の曲は、最初にリリースされた時と
ライブで演奏される時とでは、
まるで全く違う作品のようなものがたくさんあります。
リズムもテンポもアレンジも、原形をとどめていないのです。

時代や自身の気持ちや考えによって
静かなアコースティックギターの弾き語りが
激しいロックになったり
ジャズやオールドアメリカンスタイルのように渋くなったりと
変化していくのです。

しかも若い頃につくった歌詞でも
何年たっても古くならないとか
私自身が、何年もたってからその意味や深さに気づくとか・・・。

自分自身の変化とともに
作品も変化させる。
しかしその中には不変の芯のようなものがちゃんと存在している。

「変えない」ということは実は古くなってしまう、ということであり
実は変わってしまうことで、
「変化させる」ことは実は流れに合っていつまでも新鮮で新しい、
つまり「本当の意味で変わらない」ということかもしれません。

生まれも育ちも性質もまったく違う様に見える二人の
意外な、しかし実に稀な共通点だと思うのですが・・・

「こじつけだっ」とか、「それがどうしたっ」という声が聞こえてきそうですね・・・(^^;)
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by signaless5 | 2010-03-22 20:33 | 思うこと

Well, they'll stone ya when you're trying to be so good,
They'll stone ya just a-like they said they would.
They'll stone ya when you're tryin' to go home.
Then they'll stone ya when you're there all alone.
But I would not feel so all alone,
Everybody must get stoned.

  彼らは石で打つ 貴女がよくなろうとするときに
  彼らは石で打つ 言ったとおりに
  彼らは石で打つ 家に帰ろうとするとき
  彼らは石で打つ そこに一人ぼっちでいるとき
  しかし私は一人ではないと感じる
  誰も皆 石で打たれるべきだ


3月18日の夜
私の目の前にはボブ・ディランがいました。
オープニングに飛び出したのは
夕方になって降り出した雨にちなんだ
「雨の日の女」という景気のいい曲・・・。
私は幸せに包まれていました。

ピンクパープルのシャツに黒のジャケット、
黒のパンツにはピンクの二本のストライプ。
黒い帽子を被った今年69歳のボブは、
とてもかっこよく、素敵でした。

旅芸人、ミンストレル(吟遊詩人)。
その言葉がぴったりの最近のボブ。
それも超一流の!
ライブを観ていてまさにそう感じました。

これ以上ないほど近くでボブを見ることができた
(前から3列目、ステージ中央やや左寄りで
ボブがキーボードを弾くボブの顔と正面になる位置!)
というのもあるでしょうが
私にとってはこれほど満足したライブはありません。

こんなにかっこいい“もうすぐ70歳”はいない!?
80年代後半から「ネバー・エンディング・ツアー」と称される、
年間100回以上のライブを続けているボブ。
演奏曲は日替わりで変化し
今まだ途中の今回の日本(現時点で東京の7公演が残っています)
での14公演だけでも、通算でいったい何曲歌われるのかわからない。
こんなミュージシャンが他にいるだろうか。


ステージを去り際、メンバーと一列に並んだ時のボブの表情を
私は忘れられません。
メンバー紹介以外は一言も発しないのが最近のボブ流ですが
この時も同じ。
でも、なんとも幸せそうな満足そうな色が
そのブルーの目の中にありました。

何も言わなくても
愛と感謝の気持ちが伝わってきました。

彼の人生、生き方そのものが
私にたくさんのものを与えてくれている、
そんなことを再認識できた
ほんとうに素晴らしいひとときでした。

※冒頭の「雨の日の女」Rainy Day Women という曲については
様々な解釈がある=Wikipedia
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by signaless5 | 2010-03-21 12:06 | 音楽

手凍えだ・・・「風林」

  風林    

     (かしはのなかには鳥の巣がない
      あんまりがさがさ鳴るためだ)
   ここは艸があんまり粗(あら)く
   とほいそらから空気をすひ
   おもひきり倒れるにてきしない
   そこに水いろによこたはり
   一列生徒らがやすんでゐる
     (かげはよると亜鉛とから合成される)
   それをうしろに
   わたくしはこの草にからだを投げる
   月はいましだいに銀のアトムをうしなひ
   かしははせなかをくろくかがめる
   柳沢(やなぎざわ)の杉はなつかしくコロイドよりも
   ぼうずの沼森(ぬまもり)のむかふには
   騎兵聯隊の灯も澱んでゐる
   《ああおらはあど死んでもい》
   《おらも死んでもい》
     (それはしよんぼりたつてゐる宮沢か
      さうでなければ小田島国友
         向ふの柏木立のうしろの闇が
         きらきらつといま顫えたのは
         Egmont Overture にちがひない
      たれがそんなことを云つたかは
      わたくしはむしろかんがへないでいい)
   《伝さん しやつつ何枚、三枚着たの》
   せいの高くひとのいい佐藤伝四郎は
   月光の反照のにぶいたそがれのなかに
   しやつのぼたんをはめながら
   きつと口をまげてわらつてゐる
   降つてくるものはよるの微塵や風のかけら
   よこに鉛の針になつてながれるものは月光のにぶ
   《ほお おら……》
   言ひかけてなぜ堀田はやめるのか
   おしまひの声もさびしく反響してゐるし
   さういふことはいへばいい
     (言はないなら手帳へ書くのだ)
   とし子とし子
   野原へ来れば
   また風の中に立てば
   きつとおまへをおもひだす
   おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
   鋼青壮麗のそらのむかふ
    (ああけれどもそのどこかも知れない空間で
     光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか
     …………此処(こご)あ日あ永(な)あがくて
         一日(いちにぢ)のうちの何時(いづ)だがもわがらないで……
     ただひときれのおまへからの通信が
     いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ)
   とし子 わたくしは高く呼んでみやうか
    《手凍(かげ)えだ》
    《手凍えだ?
     俊夫ゆぐ凍えるな
     こないだもボダンおれさ掛げらせだぢやい》
   俊夫といふのはどつちだらう 川村だらうか
   あの青ざめた喜劇の天才「植物医師」の一役者
   わたくしははね起きなければならない
    《おゝ 俊夫てどつちの俊夫》
    《川村》
   やつぱりさうだ
   月光は柏のむれをうきたたせ
   かしははいちめんさらさらと鳴る



1923年6月3日の日付のあるこの詩は
『無声慟哭』3部作の後、
つまり妹トシが亡くなってから約半年後になって
やっと書かれた詩の第一号、といってもいいのでしょうか。
ただし、この詩と「白い鳥」の2作は
『無声慟哭』の章に含まれています。

私は、高校生の頃この詩を読み
詩の最後の部分、「俊夫」の手が凍える、というくだりが
とても好きでした。
好き、というより、あこがれのようなものでしょうか。

生徒達を連れて岩手山へ行ったときの情景ですが
その一人の手が凍えてしまった。
ぼんやりとトシのことを考えていた賢治は
その声を聴いて、跳ね起きる。

このあと賢治はどうしたのだろうか。
俊夫の手を握って温めてやったろうか。
それともポケットに入れてやっただろうか・・・。

私はなぜ、「俊夫」でなかったのだろう。
冷たい指先を賢治に温めてもらう俊夫でなかったのだろう。
そんなバカなことを考えている高校生だった。

今の私が、「手が凍えた」と言えば
「甘えるな!」といって差し出した手をひっぱたかれるのがオチだよな~。

そんなことを考えていたら淋しくなった。

しかし。
ふと、ちがうぞ、と思った。

私は、誰かに凍えた手を温めてもらうのではなく
誰かの手を温めてあげられるようになりたいと。

たとえ自分がどんな悲しみの底にいようと
賢治がそうであったように・・・。

そんなふうに感じたのです。

賢治さん、私はあの頃より
 少しは進歩できたでしょう・・・?
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by signaless5 | 2010-03-12 20:59 |

早池峰神楽

昨日の日経新聞の夕刊(3月9日付)に
「早池峰神楽、ロシア公演へ」の記事が。

(前略)現在、サンクトペテルブルグに住むエカテリーナさんが早池峰神楽と出会ったのは、岩手大学大学院に留学していた約3年前。躍動感あふれる演者の身のこなしと打ち鳴らされる太鼓やかねのリズムが「地球の鼓動」のように感じたという。
その時の感動が忘れられす、ロシアでの公演を実現させたいとの思いを持ち続け、サンクトペテルブルグ大の日本文化研究会に勤務する傍ら、留学時代の日本の友人らを頼りに交渉に奔走した。
出演するのはエカテリーナさんと交流のあった花巻市の大償神楽保存会のメンバー。(以下略)


1996年の宮澤賢治生誕100年祭に行ったとき
花巻の宮沢賢治記念館前の前庭では胡四王神楽が行われていました。
その時の感動とともに
舞手のなかに眼涼しい美少年がいて
私はその子ばかり目で追っていたのを思い出しました・・・。


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by signaless5 | 2010-03-10 09:44 | 思うこと

ミザンスロピー

四〇九      冬

                  一九二五、二、五、    

   がらにもない商略なんぞたてやうとしたから
   そんな嫌人症(ミザンスロピー)にとっつかまったんだ
     ……とんとん叩いてゐやがるな……
   なんだい あんな 二つぼつんと赤い火は
     ……山地はしづかに収斂し
       凍えてくらい月のあかりや雲……
   八時の電車がきれいなあかりをいっぱいのせて
   防雪林のてまへの橋をわたってくる
     ……あゝあ 風のなかへ消えてしまひたい……
   蒼ざめた冬の層積雲が
   ひがしへひがしへ畳んで行く
     ……とんとん叩いてゐやがるな……
   世紀末風のぼんやり青い氷霧だの
   こんもり暗い松山だのか
     ……ベルが鳴ってるよう……
   向日葵の花のかはりに
   電燈が三つ咲いてみたり
   灌漑水(みづ)や肥料の不足な分で
   温泉町ができてみたりだ
     ……ムーンディーアサンディーアだい……
   巨きな雲の欠刻
     ……いっぱいにあかりを載せて電車がくる……



『春と修羅 第2集』の中の一作。
 灌漑水(みづ)や肥料の不足な分で  
 温泉町ができてみたりだ
とあるように、自らも花壇工作を通じて関わった花巻温泉への批判だけでなく
『イーハトーブ温泉学』で岡村民夫氏も述べているように
「賢治の花巻温泉批判は、抜き差しならない自己批判」であると思います。

農民が貧困と飢餓に苦しむ一方で
裕福層のための巨大レジャーランドがある・・・。
資本家はそこからまた利益を吸い上げて財をふくらませる。

自分には始めから見えていた構図ではないか・・・と。
「美しいもの」を創りだすことに喜びを見いだしていたが
それを表現できたのは、一部の階層の目に触れる場所でしかない。

自分が思い描いたものとは全く別のものが据えられる。
(向日葵の花のかはりに
 電燈が三つ咲いてみたり)

こんなはずじゃなかった・・・
俺の望むものはこんなものじゃない・・・
と思ったかどうか。

いずれにしても
賢治のいう「嫌人症(ミザンスロピー)」とは
人を嫌う、というよりも
自己嫌悪に近いものだったのではないでしょうか。
自信喪失。
深いブルー。
そして詩人は、戦慄すべき己の影を見る・・・。

四一一      未来圏からの影

                  一九二五、二、一五、    

   吹雪(フキ)はひどいし
   けふもすさまじい落磐
     ……どうしてあんなにひっきりなし
       凍った汽笛(フエ)を鳴らすのか……
   影や恐ろしいけむりのなかから
   蒼ざめてひとがよろよろあらはれる
   それは氷の未来圏からなげられた
   戦慄すべきおれの影だ
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by signaless5 | 2010-03-07 11:06 |

最近、遠野物語に関する本を2冊購入しました。
一冊目は、水木しげるさんの漫画「遠野物語」
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2月に出たばかりの本です。
水木さんといえば子供の頃から「ゲゲゲの鬼太郎」の独特の世界が好きでしたが
遠野物語にぴったりではありませんか。
今まで描かれていなかったのが不思議なくらいです。


2冊目は、佐々木喜善さんが綴った「遠野奇談」
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彼が柳田国男に遠野の不思議な話を語ったことから
「遠野物語」が生まれることになりましたが、そこに収録されなかった話が集められています。



今年2010年は、「遠野物語」発刊から100年になるとのことで
イベントもいろいろ計画されているようです。

昨年の岩手旅行の折りには
時間がなくて遠野に行くことができませんでしたが
1992年に訪れたときの印象は鮮明に残っています。

早池峰神社に行ったとき
お年寄りに混じって、3歳くらいの可愛らしい女の子がいました。
なんだかとても不思議な感じがしたのを覚えていますが
その子も今頃はいいお嬢さんになっているでしょうね・・・。
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by signaless5 | 2010-03-05 13:56 |

ひな祭り

今日はひな祭りですね。
この日が近づくといつも思い出すのはこれ、緑石のお雛様です。

うちにも娘が一人いますが
親になってはじめてその親心がわかるようになりました。
父親にとっては、「娘」というのはまた特別なのかもしれません。

最近、私のブログへの検索ワードに
「河本緑石」「河本緑石研究会」というのが入るようになりました。
とてもうれしく思います。
ひとりでも多くの方に緑石さんのことを知っていただければ
こんなにうれしいことはありません。

倉吉の地では「河本緑石研究会」の方々もがんばっておられるようです。
私も、次号の「ふらここ」を心待ちにしている一人。

近い将来、必ず倉吉を訪れる機会があることを
願っていますが・・・・。
うちからはどう考えても5時間以上はかかりそうです。
とすれば倉吉から韮崎までは、どれほどかかるんでしょうか。
そう考えると、昨年の韮崎での集いに緑石の娘さんの御舩道子さんが
来てくださったことは、こんなに“有り難い”ことはなかったのかもしれません。
(ただの一ファンの私でさえそう思うのですから、
アザリアの友たちにとってはどのように感じられたでしょう・・・)

今日は風が強いです。
緑石さんが落とすものを 何か拾えるでしょうか。
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by signaless5 | 2010-03-03 09:36 | 緑石