大晦日です

早いもので一年、あっという間に終わってしまいました。

拙い文章を読んで下さったみなさまには心からお礼を申しあげます。

まだまだ未熟者ですので
本来なら賢治に関しては
人様に読んで頂けるようなものを書くなど
10年も100年も早いのかも知れません。

時には突っ走って
過激なことも書いてしまったりもしました。
ご迷惑をおかけしたり
ご不快になられた方もあるかと思います。

自分では気付かないことも多々ありますので
これからも叱咤激励ご指導のほど
よろしくお願いします。

個人的には、2009年は
賢治・嘉内の関係で
ふつうでは考えられないような機会を与えて頂いたり
身に余る光栄な立場に置いて頂いたりした大変ありがたい一年でした。

一年間、本当にありがとうございました。

皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
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by signaless5 | 2009-12-31 16:00 | 思うこと

とらよとすれば・・・

賢治の「習作」という詩にある

 とらよとすればその手からことりはそらへとんで行く


このフレーズは、保阪嘉内の作った「勿忘草の歌」にもあることから
私はこれが二人の間で特別なモチーフだったのではないかと考えました。

これは1919年(大正8年)に上演された
芸術座の「カルメン」で歌われる「恋の鳥」(作詞・北原白秋/作曲中山晋平)が
下敷きとなっているようです。

 捕へて見ればその手から
 小鳥は空へ飛んでゆく

 泣いても泣いても泣ききれぬ
 可愛いい可愛い恋の鳥

この3番の歌詞は

 捕らよとすれば飛んで行き
 逃げよとすれば飛びすがり
 好いた惚れたと追つかける
 翼火の鳥恋の鳥

となっていて、最初私は
賢治か嘉内のどちらかが
間違って覚えてしまい
それを他方に伝えたため
ふたりでそのまま覚えてしまっているのかも・・・と思いました。

しかし、この歌は当時流行し、
あちこちで歌われたり聴かれたりしたようですから
どうもそうではないような気がします。
特に歌舞伎や演劇が好きな嘉内が、いつまでも間違えたままである
ということは考えにくいのではないでしょうか。

つまりどちらかがあえて
「恋の鳥」とは違うフレーズを書いた可能性もあるはずです。


賢治と嘉内が「カルメン」を見たか(→)ということについては
hamagakiさん(→)が詳しく検証してくださっています。

賢治が見た可能性はあっても
嘉内が見た可能性は低いと考えて良いかもしれません。

私は先の記事で大正8年の初め頃に
賢治と嘉内は東京で会ったのではないかと書きましたが
賢治がすでにこのとき「カルメン」を見た後であれば
嘉内にその話をした可能性は大きいと思います。

大正10年7月まで会わなかったとしても
なにかのきっかけで「そういえば2年前にカルメンを見たよ」という話になっても
おかしくはありません。
たとえその後に深刻な話があるとしても
会っていきなり本題に入るひとはあまりいないように思います。

ただ、その時には歌の歌詞のことまで話したかどうかといえば
よほどでないと細かなことまでは話さないであろうし
先にも書いたように、
賢治が間違った歌詞を教えて
嘉内もずっとそのままにしておく、というのも無いような気がします。

とすれば、
嘉内に「カルメン」のことを話す話さないにかかわらず
賢治が歌詞を違えて覚えたか
時がたつにつれ賢治の中で歌詞が変わってしまったか、
ということなのかもしれません。

今ある事実は
賢治が「習作」に「とらよとすれば・・・」と書いた。
嘉内も全く同じフレーズを自作の歌に取り入れた・・・。

と、いうことは・・・・。

実は、私のブログにいつもコメントをくださるsoraさんが以前、
 <賢治の送った『春と修羅』を読んで
 嘉内があえてそのフレーズを
 そのまま尊重して取り入れ「勿忘草の歌」という作品にしたのではないか>
というようなことを私に話して下さったことがありました。

その時にはそのまま深く考えずにいてしまったのですが
このところ、賢治と嘉内が大正8年の初頭に東京で会った可能性や
書簡102a についてのことをあれこれ考えているうちに
私にもどうしてもその可能性が大きいように思えてきました。

つまり、やはりこれは二人だけの“言葉”なのではないでしょうか。

賢治は「習作」を書いたときには
確かに大正8年の初め頃のことを思い出していたかもしれません。

嘉内も「習作」を読んでその頃のことを思い出した・・・。

ほろ苦かったか
甘酸っぱかったか・・・。
どっちにしても、これは深い友情がなければ
あり得ないことではないでしょうか。
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by signaless5 | 2009-12-30 23:24 |

夢の航海

やせっぽちの少年が
何の武器も持たずに戦いに挑んでいく。
相手は強力な武器を備えた重装備の強者ばかり。
彼が戦う目的はただひとつ。
「海賊王になる!」

たかが少年漫画とあなどれない。
主人公ルフィはただひとつの夢に向かって
どんな困難をも乗り越えていく。

それぞれに悲しみや辛さを胸に秘めつつ
夢を持つ仲間たちを得て
助け合いながら想い合いながら
強敵を倒し苦境を切り抜けていく。
ひとりでは弱い存在でも、友だちがいれば何より強くなれる。

基本的には底抜けの楽観主義。
時にはそれが一番の武器になる。
自分を馬鹿にされても怒らないが
友達の「心」を踏みにじるヤツは絶対に許さない。

幼い日に出会った海賊・シャンクスに憧れ
海賊王になることを心に決めたが
シャンクスは、自分を命がけで助けてくれた恩人でもある。
ルフィを支えるのは、シャンクスへの想いかもしれない。

“悪魔の実”を食べてしまったばっかりに
ルフィは身体がゴムのように伸びるゴム人間になってしまったが
武器といえばただそれだけなのである。

彼がなぜ倒れないかといえば
それは“決してあきらめない”からだ。


自分に力がないと落ち込んでしまうとき、
何も誇れるものがないような気がして悲しいとき、
私は彼のことを思い出す。

ほとんど素手に近いまま
ちょっと変わった能力をもっただけ。
それでも充分戦える。
彼のような大きな大きな夢ではないけれど
自分の夢に向かって船を進めていこう。
嵐がこようと、巨大な生物に襲われようと
そんなこと、関係ない!

私は私の道を行く!


・・・な~んてことを感じさせてくれるからこそ
ファンがたくさんいるのでしょうね。

「ひとつなぎの大秘宝=ONE PIECE」目指して
今日もルフィは海を行く!
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by signaless5 | 2009-12-27 22:06 |

露さんについての疑問

大内秀明氏の「賢治とモリスの環境芸術」という本を読んでいる途中ですが
気になったことがあります。

昭和47年、菊池正氏が伊藤与蔵さんという方から賢治について
聞き書きをし、まとめたものをガリ版で30部ほど出したそうです。
それがまるごとここに収録されていますが、
そのなかに高瀬(小笠原)露さんについての記述があります。

伊藤与蔵さんは、若い頃
羅須地人協会で賢治と交流があった方です。


<先生が病気で休んでいる時、お見舞いに行ったことがありますが、何の話をされた時でしたか覚えてはいませんが、「法華経について知りたかったなら高瀬露子さんが良い本を持っていますからお借りして読んでみなさい」と言われたことがあります。その本の名前は忘れましたが「日蓮宗の何とか」という本のような気がします。私は高瀬さんへ行ってその本をお借りして読み、先生に言われた農学校前の南部さんのお寺へ返しました>=昭和47年8月11日の聞き書きより

ところが、約2ヶ月後の10月1日の聞き書きにはこうあります。

高瀬露子さん
 高瀬さんが別荘へ来ていたとき、一度だけお目にかかったことがあります。
 伊藤忠一君と二人で、いつものような気持ちで先生のところへ遊びに行きました。「先生」と大きな声で呼びましたら、知らない女の人が井戸そばにいて、
「先生はお休みになっておれらますから静かにして下さい」ときつい調子で注意を受けました。私は先生とどんな関係の人か知りませんでしたが、忠一君は「先生の大事な人なんだろうから、静かに帰ろう」といいましたので、私たち二人は家に帰りました。その時の女の人のそ振りは、先生の奥さんでもあるかのような様子にうけとられました。あとで忠一君から高瀬露子さんという人だと教えられました。
 ある夜、高瀬さんがおかあさんと二人で提灯をさげて別荘の方に行くのに会ったことがあります。提灯には「高瀬」と書いてありましたし、見たところ確かに露子さんでした。
 私たちは先生に高瀬さんのことを聞いたこともありませんし、勿論先生から話されたことはありませんので、そのほかのことについてはよくわかりません。

8月の聞き書きには、「先生が病気で休んでいる時、お見舞いに行ったことがありますが」とあることから、これはきっと、賢治が病気のために羅須地人協会をやめて、実家に戻ったときのことと思われます。
その時、法華経についての本の話が出て、高瀬露子さんが持っているから、と聞き、高瀬露子さんのお宅へ行って借りてきた、それを南部という人のお寺に返した、ということでしょう。

書簡252a[日付不明 小笠原露あて]とされる書簡下書きには
<南部様と仰るのはどの南部様かご紹介管すった先がどなたか判りませんが・・・>とあることと符号します。
しかし、この書簡においては、賢治は、どの南部様か知らない、などと書いています。

この書簡が清書されて実際出されたのだとしたら
本を借りたというのは、
その後、賢治が露さんと南部さんの関係を知った後のできごとだった、
ということなのでしょうか。

しかも露さんは生涯敬虔なクリスチャンだったはずです。
本を借りてきた話が本当だとすると
なぜ法華経の本をもっていたか、
なぜお寺と繋がりがあったか、
それも不思議なことです。


それにしても、賢治から聞いたこともなく、
よく知らない、と言った高瀬露さんの所に
与蔵さんはどうやって行ったのでしょうか。

それよりなにより、賢治から聞いたこともないと言うその前に
はっきり、高瀬露さんから本を借りてみろと言われた、と言っているのです。

う~ん、
う~ん、
これはいったいどういうことなんでしょうか。
繰り返すようですが
「聞いたことがない」というのが、羅須地人協会時代に限っての話だとしても、
「そのほかのことはよくわかりません」と言う人の家になぜ行くことができたのでしょうか。

まさかとは思いますが
8月に高瀬露さんの話をした後、
なにがしかの手がまわって、口止めされてしまったのか・・・・?
なんて、妙な勘ぐりをしてしまったりもします。

それは冗談にしても
まったくもって不思議な話。
露さんについての謎はますます深まるばかりです。

ちなみに、高瀬露という名前が広く公にされたのは
このガリ版が出たあと、
昭和48年以降に校本全集が刊行された時だと思います。
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by signaless5 | 2009-12-16 13:25 | 思うこと

教えられたこと

五歳の男の子の話が新聞の投稿にありました。
投稿したのはそのお母さん。

その子は一番末っ子なので
いつも洋服はお兄ちゃんのお下がりやもらいもの。
唯一買ってもらえるのは靴下だけ、ということです。

大好きな戦隊ヒーローの靴下を買ってもらい
一日おきに履いていました。
穴があいては縫ってもらい、
とうとうあちこち繕いすぎて
小さくなって幼稚園には履いていけなくなりました。

「でも、捨てないでね、お休みの日に履くから」
その子は靴下がちゃんとあるかどうか、引き出しの中を見るのだそうです。

ああ、はたして私は、そんなに物をたいせつにしたことがあるでしょうか。

そういえば、昔の人達は
壊れたら直したり補強したりしながら
何でも大切にしてきたはずです。
それがいつのまにか大量消費になり
直すより買った方が安かったり
手間を惜しんだり・・・。

その子にとっては、その靴下はきっと
どんな高価なものよりも、大切な物なのでしょう。

物に価値を見いだすのは
結局はひとのこころです。

私にはその子のこころがとても尊く思えました。

そしてそのお母さんもまた
「新しいのを買ってあげるから、みっともないから捨てなさい」と言わずに
なんどでも縫ってあげる、素敵なお母さんなのです。

物があふれた時代だからこそ
忘れてはいけないことがあるのかもしれません。
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by signaless5 | 2009-12-11 19:24 | 思うこと

カンジョウ

   アラユルコトヲ
   ジブンヲカンジョウニ入レズニ
   ヨクミキキシワカリ
   ソシテワスレズ

宮沢賢治の詩は知らなくても
「雨ニモマケズ」を知らない人はいないくらいですね。

私も最初に知ったのは子どものころ、
幼稚園か小学校低学年くらいだったと思います。
父に連れられて行った近所のお寿司屋さんに
この「雨ニモマケズ」が書かれた暖簾がかかっていたのです。

「うさぎおいし かのやま」を
ウサギが美味しい・・・と思い違いをして覚えてしまうように
私はなぜか「ジブンヲカンジョウニ入イレズニ」というところを
《勘定》ではなく《感情》だと思いこんでいました。

「あらゆることを自分を感情にいれず」というのは
「自分のことで怒ったり泣いたりせずに」というふに考えていたのです。

今なら《勘定》の意味にとらえることができるのでしょうが
なにせ知恵のない頭が、更に小さな頭だったせいでしょう。

ふつうは「感情を入れる」という表現はあっても
「感情に入れる」という表現はないですよね。

それがわかっていながら
いまもまだここを読むたびに「感情」という言葉が
頭のスミをよぎってしまうのです。

でも「勘定に入れない」にしても「感情に入れない」にしても
自分のことは考えずに、という意味では
似たようなものだとは思いますが・・・・(ちがうか。)

ちなみに、その暖簾を読んだとき
「こんな説教クサイことを言うヤツはキライだ」と思った記憶が・・・・

その頃から素直じゃなかったということですね・・・(>_<)
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by signaless5 | 2009-12-10 19:12 |

「藤井青年団々歌」!

「宮沢賢治の詩の世界」のhamagaki様が
嘉内の作った「藤井青年団々歌」を演奏ファイル(MP3)にして下さったので
ふたたびリンクさせて頂きます。

「藤井青年団々歌」



私はこのイントロを聴いて
鳥肌がたつほどでした。

まさに白々と、爽やかに夜が明けゆくようではありませんか。

ともすれば、こういう歌はまるで軍歌?
という風な感じにもなってしまいそうですが
hamagaki様のアレンジは
嘉内の熱き想いのようなものがまっすぐに響いてくる気がします。

あらためて
嘉内が志したものが何であったかを
教えられたような気がしました。
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by signaless5 | 2009-12-07 18:53 | 嘉内

すきとほった飲み物

先日、ミョ~なものを読んでしまい、
あまり気分がよくなかったので
憂さ晴らしにその夜
冷蔵庫に大事に仕舞っておいた“とっておき”をいただきました。

先日、「宮沢賢治の詩の世界」のhamagakiさんの記事にもあったこれです。
b0150143_1173927.jpg


左の缶は2007年の物です。(もちろん中身は空です)
その年の限定だとばかり思っていたのですが
今年も出ていたのですね。
・・・ということは私が知らなかっただけで去年もあったのでしょうか。


美味しかった~!

私は普段家ではほとんどお酒類は飲みません。
(みんなでワイワイしながら飲むのは好きです)
ビールは最初は美味しいと思うのですが、
たいていひと缶飲み終わるまえにだんだん苦くなってきてしまいます。

ところが、この「とれたてホップ」はそれがなく、
後に少し甘みが残るような気がします。
みずみずしいフルーツを思わせるような爽やかさがあるのです。

賢治のかいだ香りも、こんなフルーティだったのかな~
なんて想いながら、心はイーハトーブへ・・・。

しまった、もっと買っておくべきだった。
あとで買いに行ったら
もう売っていませんでした。

来年も出るでしょうか。
「とれたてホップ」♥
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by signaless5 | 2009-12-04 11:07 | 珈琲ブレイク

入門書・・・?

よせばいいのに、
性懲りもなく、つい手に取ってしまいました。

図書館でふと目についた
『新書で入門 宮沢賢治のちから』という本です。

何を感じようと、
何を想像しようと、
それは読んだ人の自由なんですけどね。

風の又三郎とは「飢饉で間引かれた子ども」とか
イーハトーブは「ディズニーランドのようなもの」とか・・・

賢治の短歌は作品の着想メモにすぎないとか・・・
盛岡高等農林卒業後、研究生になったが、
助教授推薦を断ったのは関教授と不仲になっていたからだとか・・・
(私が知らないだけでそんな話があるんですか?)

詩「春と修羅」の行のうねりは
「ひらめいてとびたつからす」の様子を表している、と断言しているし。

もっともっとありますが、きりがありません。

たいへん面白く読ませて頂きました。

著者は「宮沢賢治の研究者」なのだそうです。
何を研究しようと
自由なんですけどね・・・・。

賢治が嫌いなら、研究などせぬがよろしい。

それにしても「新書で入門」とは、
いったい何の入門でせうか。
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by signaless5 | 2009-12-03 20:10 |