西か北か。

      《北ぞらのちぢれ羊から

      おれの崇敬は照り返され

      天の海と窓の日おほひ

      おれの崇敬は照り返され》


『春と修羅』の「雲とはんのき」の部分です。

このパートは「ダルゲ」「図書館幻想」にも出てくるし
メロディをつけ歌曲にもしているくらいなので
賢治はよほどこのフレーズに愛着があったのでしょう。


以前から私は不思議に思っていることがありました。

「ダルゲ」など、初期に書かれたものには
〈北ぞらの〉という部分が〈西ぞらの〉になっていることです。

いつ変更されたのか。
それはなぜか。

少し調べてみて面白いことに気付きました。
『春と修羅』の初版本、つまり世に出た形は、〈北〉になっています。
印刷用原稿では〈西〉になっているのを、〈北〉に直した跡があります。
それ以前と思われる作品「ダルゲ」や「図書館幻想」では〈西〉です。
そして、『春と修羅』宮沢家本(=賢治が初版本に手入れたもののうち宮沢家に現存しているもの)では
この4行を含めた最初のほうがすっぽりと削除されています。

宮沢家本は、手元に置いて長期にわたって手入れをしたものでしょうか。
だとするとこの削除の時期を知るのは困難かもしれません。

「ダルゲ」や「図書館幻想」が、大正10年の東京でほぼ書かれたものだとすれば
この〈西〉から〈北〉への変更は
花巻に帰ってきてから、『春と修羅』の出版の直前ということになりそうです。

それではなぜ、西から北なのか。

この詩の意味は
私にはどうもよくわかりません。

西日に照らされたちぢれ羊を、聖なる窓から望む者・・・・
汚点ある旗・・・?
照り返される崇敬・・・?
硝子の蓑をまとった灰色のダルゲが
つめたい透きとおった声で歌い出す。

なんとなくぼんやりとしたイメージがあるだけです。

ただ、「ダルゲ」がもし保阪嘉内にイメージを重ねた人物だとしたら
西とは、東京から見た西、つまり嘉内の故郷山梨あたりということでしょうか。

ダルゲは、故郷のある西の空を見上げながら
じっと動かず作物の取れ高を心配している。
そしておれの気取った問いかけに振り返って冷ややかに笑う。

それでは、〈北〉とは?
東京から見た北?
花巻に帰った賢治は、岩手を“イーハトーブ”にしようとしました。
かつてダルゲから見た故郷を
今度は自分から見た故郷にすり替えたのでしょうか。
自分も、ダルゲがじっと額に手をかざして〈西〉ぞらを見つめていたのと同じように
〈北〉ぞらを見つめようとしたのでしょうか。

そしてそれは1923年の6月に、
賢治がじぶんで線を刻んだことによって
変化した心境だということでしょうか。

  (ひのきのひらめく六月に
   おまへが刻んだその線は
   やがてどんな重荷になって
   おまへに男らしい償ひを強ひるかわからない)
                        
                     
賢治はいったい何を心に決めたのでしょう。
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by signaless5 | 2009-11-30 19:18 |

やつてみませう

高校2年の息子が
奇しくも昨日、11月27日にあった期末テストの問題を持ち帰ってきました。


     永訣の朝
 
   けふのうちに
   とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
   みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
      (①あめゆじゆとてちてけんじや
   うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から
   みぞれはびちよびちよふつてくる
      (あめゆじゆとてちてけんじや)
   青い蓴菜のもやうのついた
   これらふたつのかけた陶椀(たうわん)に
   おまへがたべるあめゆきをとらうとして
   わたくしは②まがつたてつぽうだまのやうに
   このくらいみぞれのなかに飛びだした
      (あめゆじゆとてちてけんじや)
   蒼鉛いろの暗い雲から
   みぞれはびちよびちよ沈んでくる
   ああとし子
   死ぬといふいまごろになつて
   わたくしをいつしやうあかるくするために
   こんなさつぱりした雪のひとわんを
   おまへはわたくしにたのんだのだ
   ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
   わたくしもまつすぐにすすんでいくから
      (あめゆじゆとてちてけんじや)
   はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
   おまへはわたくしにたのんだのだ
    銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
   そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
   …ふたきれのみかげせきざいに
   みぞれはさびしくたまつてゐる
   わたくしはそのうへに③あぶなくたち
   雪と水とのまつしろな④二相系をたもち
   すきとほるつめたい雫にみちた
   このつややかな松のえだから
   わたくしのやさしいいもうとの
   さいごのたべものをもらつていかう
   わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
   みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
   もうけふおまへはわかれてしまふ
   (Ora Orade Shitori egumo)
   ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
   あああのとざされた病室の
   くらいびやうぶやかやのなかに
   やさしくあをじろく燃えてゐる
   わたくしのけなげないもうとよ
   この雪はどこをえらばうにも
   あんまりどこもまつしろなのだ
   あんなおそろしいみだれたそらから
   このうつくしい雪がきたのだ
      (⑤うまれでくるたて  
       こんどはこたにわりやのごとばかりで
       くるしまなあよにうまれてくる
   おまへがたべるこのふたわんのゆきに
   わたくしはいまこころからいのる
   どうかこれが兜卒の天の食に変って
   やがてはおまへとみんなとに
   聖い資糧をもたらすことを
   わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

 


問1 傍線部①「あめゆじゆとてちてけんじや」について、
    (1)この文意をわかりやすく記せ。
    (2)この表現は、どのような効果をねらったものか。次の中から適当なものを二つ選び、記号で答えよ。
     ア 地方色 イ 擬声語 ウ 兄弟愛 エ 孤独感 オ 清涼感

問2 傍線部②「まがつたてつぽうだまのやうに」は、作者のどのような気持ちをたとえたものか。35字以内で答えよ。

問3 傍線部③「あぶなくた」つのはなぜか述べよ。

問4 傍線部④「二相系をたもち」について
   (1)表面的にはどういう意味か答えよ。
   (2)この言葉にこめられた心情を述べよ。

問5 「あんまりどこもまつしろなのだ」は、何に対する感慨か述べよ。

問6 傍線部⑤は、妹のどんな思いがこめられた言葉か、30字以内で述べよ。

問7 「わたくしもまつすぐにすすんでいく」という決意は、どんな心情に変化したか、詩中から40字程度の部分を抜き出し、始めの6字を示せ。

 
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by signaless5 | 2009-11-28 18:26 | 思うこと

1922.11.27

とし子の最後の食べ物は
兄の掬ってきたひとわんの雪
やさしい兄が掬ってきてくれたなつかしい蓴菜もようの椀に盛られた
天上の聖なる資糧

(あめゆじゆとてちてけんじや)

ほんとうにとし子がたのんだのか
それとも賢治が、どうしてもそんな気がして飛び出したのか

別れるこのときになって、
賢治は幼い日のとし子との遊びを
思い出したのだろうか

賢治の耳には、何度も何度も
ささやくように、うたうように
この声が響いている

(Ora Orade Shitori egumo)
とし子はまるで呪文のような別れの言葉を残して逝った

せめてもの、ひと椀の雪が
とし子への祈り


苦しむとし子をよそに
自分はほかのひとのことをかんがえながら森をあるいていた
あんなにも森を慕ったとし子なのに
自分はなにをしてやっただろうか

せめてもの、一枝の松の香りが
とし子への祈り


自分は精進のみちからかなしくつかれて
青ぐらい修羅を歩いているのに
とし子は一人さびしく往こうとする

なつののはらのちいさな白い花の匂いでいっぱいなのに
それさえも言ってやることができない
(わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)

「信仰をひとつにするたつたひとりのみちづれのわたくし」であるのに
なんの力にもなってやれずに賢治は修羅をあるいている

それでもこんどはどうかきれいな頬をして
あたらしく天にうまれてくれ
そんなにじぶんのことばかりで
くるしまないようにうまれてきてくれ

         ※

いつのまにか、賢治の世界では
作品はイコール事実というような風潮があるような気がします。

「無声慟哭 3部作」もそうです。
これらは作品です。
限りなく賢治の心象に近いものだとは思いますが
逆にいうと、心象風景を忠実に伝えたいがために
modifiedされたともいえるのではないでしょうか。

それを考えずに、作品=事実としてしまうから
「永訣の朝」は、まだ死んでもいないのに「きょうのうちに」なんというのはおかしい、とか
トシが(あめゆじゆとてちてけんじや)なんて本当に言ったのか、などという
議論(?)がでるのではないでしょうか。

賢治がそういう論文を見たら、どんな顔をするでしょうか。
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by signaless5 | 2009-11-27 09:05 |

2010カレンダー!

仕事でお世話になっている住宅メーカーさんが
毎年下さるカレンダー。
なかなか趣があって良かったのですが
今年はなんとなんと!これ!(←クリック!)

いつかは賢治も取り上げられるような気はしていましたが
来年度版とは。
うれしいニューズでした。
要望が多く2010年版から一般発売もということになったそうです。

ちなみに今年(2009年版)は漱石でした。
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by signaless5 | 2009-11-26 09:04 | 珈琲ブレイク

日付に二重括弧のある作品は7篇。

「春と修羅 (menntal sketch modified)」
「真空溶媒 (Eine Phantasie im Morgen)」
「蒼い槍の葉 (menntal sketch modified)」
「原体剣舞連 (menntal sketch modified)」
「永訣の朝」
「松の針」
「無声慟哭」

これら7篇の詩は、作品として“創られて”いるのだと思います。
他の作品が賢治が時には歩きながら手帳に書き付け
ほぼそのまま作品としたもの、
つまりほとんどその日にできあがった「スケッチ」であるのに対し
そのスケッチを元に(あるいは最初から?)
足したり引いたり、脹らませたり、繰り返したり・・・
一つの作品として創りあげたもののような気がします。
まるで一つの歌や曲のように。


詩集『春と修羅』の中で
(menntal sketch modified)と
(Eine Phantasie im Morgen)
という傍題がついているのは、7作中、最初の4作品だけです。
これは「修飾された心象スケッチ」という意味と
「朝のファンタジー」というような意味です。


では、なぜ他の作品に傍題がついているのに
無声慟哭3部作にはそれがついていないのか。

それは、この作品のテーマ・内容からして
そのような傍題はふさわしくないからではないでしょうか。

トシがなくなった11月27日、
賢治はとても心象スケッチなどをする状態にはなかったということ。
それは普通の感覚であればそうだと思います。

でも、約半年を過ぎてから、
ようやく賢治は挽歌を書き始めました。
その過程で、「その日」のことを思い返し
書き記すことができるようになった。
あるいはその必要性を感じて作品にしたのかも知れません。


「けふのうちに
とほくへいってしまふわたしのいもうとよ」

という呼びかけは
この詩を書いた時点で、再びあの日にもどって書かれたためです。
まさか「その日のうちにとほくへいってしまふ」では
書き手も読み手も、その日にはもどれないでしょう。
それではこの詩のすごさは出ません。
この臨場感は出てこないだろうし
この日の賢治とトシの心象世界には入れないと思います。

この詩を読むたびに私は
賢治とトシの別れたこの日にタイムスリップしてしまう。
自分が居合わせてもいないのに
この日の賢治が見えるような気がするのです。


当日には、描くことができなかった心象風景を
後になってから描いた。
当日のありのままのスケッチでは
伝えきれないものだったからこそ
無声慟哭3部作は、あのような形になった、
私はそんな気がします。

賢治が詩集『春と修羅』を、自分の心の軌跡として描きたかったのだとしたら
どうしても、それらを除くことはできない重要なことを後から描き加えた、
特に「春と修羅」と「無声慟哭」の3部作は、
そういうことなのではないかと思います。


ついでに言えば、「春と修羅」の日付は4月8日。
賢治は、釈迦生誕のこの日をわざわざえらんでつけたのだと思います。
そこにも何か深い意味を感じます。
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by signaless5 | 2009-11-25 19:44 |

『無声慟哭』の中の3作、
「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」が書かれた日付は
大正11年(1922)11月27日になっています。
これはいうまでもなく、妹トシの亡くなった日です。

その後に賢治が詩作を開始するのは
それから半年も経った大正12年6月3日の「風林」からです。

それだけ、妹を喪った悲しみは深く
ショックも大きかったのだろうと思いますが
私はこれら3作も、じつは
トシの死後半年くらい経ってから書かれたのではないかと思っています。

  けふのうちに
  とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ

ではじまる「永訣の朝」ですが
「今日のうちに遠くへ行ってしまう」という表現は
この出来事が、つまり妹の死から
かなり時間の経過があってから書かれたためだという気がします。

それともう一つ、この詩の特徴は
日付の二重括弧です。

詩集『春と修羅』では、これら3作のほかに
あと4作品に二重括弧が使われています。

賢治がなんの意味もなく特定のものにだけ二重括弧を使うわけはないでしょう。
ではいったいどういう意味があるのでしょうか。
そう思って眺めてみると
この二重括弧の付けられている詩には
ある特徴があるような気がしてきました。

次回に続きます。
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by signaless5 | 2009-11-21 19:33 |

  おまへがあんなにねつに燃され
  あせやいたみでもだえてゐるとき
  わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり
  ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた
               (『春と修羅』 松の針 1922.11.27)

賢治にとって、妹トシが亡くなった後の悲しみは深いものでした。
たくさんの挽歌を書きましたが
妹が病に苦しんでいるときに
自分は外で人と話したり楽しく働いていたことを思い、 
はたして妹に心底思いやりを持ってやっていただろうかと
後悔の念が深かったようです。



  けふはぼくのたましひは疾み
  烏〔からす〕さへ正視ができない
   あいつはちゃうどいまごろから
   つめたい青銅〔ブロンヅ〕の病室で
   透明薔薇の火に燃される
  ほんたうに けれども妹よ
  けふはぼくもあんまりひどいから
  やなぎの花もとらない
              (『春と修羅』 恋と病熱 1922.3.20)


しかし、賢治は、仮に他の人のことを考えていたとはいえ
林に行きたがった妹に
いつもは「やなぎの花」をとっていってやるような
優しい兄だったのですから。

死に別れていった人に対してはきっと
いくらしてあげたことがあったとしても
後悔はたくさん残るものなのでしょう。
その人への愛情が深ければ深いほど
その後悔の念も大きく深いのだと思います。



 噴火湾(ノクターン) 1923.8.11  (『春と修羅』)

 稚(わか)いえんどうの澱粉や緑金が
    どこから来てこんなに照らすのか
      (車室は軋みわたくしはつかれて睡つてゐる)
    とし子は大きく眼をあいて
    烈しい薔薇いろの火に燃されながら
      (あの七月の高い熱……)
    鳥が棲み空気の水のやうな林のことを考へてゐた
      (かんがへてゐたのか
       いまかんがへてゐるのか)
   車室の軋りは二疋の栗鼠(りす)
       《ことしは勤めにそとへ出てゐないひとは
        みんなかはるがはる林へ行かう》
    赤銅(しやくどう)の半月刀を腰にさげて
    どこかの生意気なアラビヤ酋長が言ふ
    七月末のそのころに
    思ひ余つたやうにとし子が言つた
      《おらあど死んでもいゝはんて
       あの林の中さ行ぐだい
       うごいで熱は高ぐなつても
       あの林の中でだらほんとに死んでもいいはんて》
    鳥のやうに栗鼠のやうに
    そんなにさはやかな林を恋ひ
     (栗鼠の軋りは水車の夜明け
      大きなくるみの木のしただ)
    一千九百二十三年の
    とし子はやさしく眼をみひらいて
    透明薔薇の身熱から
    青い林をかんがへてゐる
    フアゴツトの声が前方にし
    Funeral march があやしくいままたはじまり出す
      (車室の軋りはかなしみの二疋の栗鼠)
     《栗鼠お魚たべあんすのすか》
      (二等室のガラスは霜のもやう)
    もう明けがたに遠くない
    崖の木や草も明らかに見え
    車室の軋りもいつかかすれ
    一ぴきのちいさなちいさな白い蛾が
    天井のあかしのあたりを這つてゐる
      (車室の軋りは天の楽音)
    噴火湾のこの黎明の水明り
    室蘭通ひの汽船には
    二つの赤い灯がともり
    東の天末は濁つた孔雀石の縞
    黒く立つものは樺の木と楊の木
    駒ケ岳駒ケ岳
    暗い金属の雲をかぶつて立つてゐる
    そのまつくらな雲のなかに
    とし子がかくされてゐるかもしれない
    ああ何べん理智が教へても
    私のさびしさはなほらない
    わたくしの感じないちがつた空間に
    いままでここにあつた現象がうつる
    それはあんまりさびしいことだ
      (そのさびしいものを死といふのだ)
    たとへそのちがつたきらびやかな空間で
    とし子がしづかにわらはうと
    わたくしのかなしみにいぢけた感情は
    どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ

 
あんなにも林のなかに行きたがったトシ。
たとえ寿命が縮まったとしても
それを叶えてやればよかった、と悔やんだかも知れません。

その林や野原の中に
自分は自由に行っていた、
そして今も歩いている・・・・。

賢治は、愛する者、信じる者が遠くに行ってしまったことへの悲しみを
自然のなかで再びあらたにし
また自然の中で癒やしていたのかもしれません。

行けばどうしても思い出してしまうのに
そこに行かずにはおれない・・・・。

悲しみは深い。
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by signaless5 | 2009-11-20 09:19 |

我が眼も赤く・・・

高校2年の現代国語の教科書に
「永訣の朝」が載っています。

私の頃にも同じ学年で載っていて
それが私と賢治との本当の出会いでもありました。

「お母さん、宮沢賢治のあの詩が載っているよ」
と、けなげな(?)息子が私にそれを見せてくれたので
「おお、そうか、どれどれ・・・」と読んでみたのですが。

そのページの最後に
学習の誘導として質問が書かれています。
以下がその文です。

①この詩の背景としての自然は、どのように描かれているか考えてみよう。
②「ふたつのかけた陶椀」「まつしろな二相系」は、それぞれどういう意味を持っているか考えてみよう。
③妹に対する作者の気持ちはどのように表現されいるか考えてみよう。
④妹の言葉には、それぞれどういう気持ちが込められているか、また、それによって作者の心はどのように高められていったか考えてみよう。
⑤この詩の表現上の特色について考えてみよう。


皆さんはどうお答えになりますか。

それを読んで私は、思わず教科書を放り投げたい衝動にかられました。
もちろん、息子の手前、そんなことはしませんでしたが・・・・(^^;)

この詩の背景としての自然はどのように描かれているか・・・・?
どのように?
描かれているか?
(え~っ。わからん~。)
そこで私は必死で、この質問者が、いったい何と答えれば
満足するのか、ということを考えてしまいました。

妹に対する作者の気持ち?
どのように表現されているか?
(これもわからんっ)

いったい質問者は何が聞きたいんだろうか。
それがまったくわかりません。

この詩における「まつしろな二相系」について、きちんと答えられたとしたら
非常に立派な論文が書けると思うのですが、どうでしょうか。

〔妹の言葉に込められた気持ち〕はともかく、
〔高める〕ってなんでしょう。
作者の心はいったい高められたのでしょうか。
もしかして、立派な詩を書くために高めるのでしょうか。
それとも、妹が死に臨んで立派なことを言ったので
作者の気持ちも高まったというのでしょうか。


作者は、この質問に書かれているようなことを
知ってもらいたくて、あるいは考えてもらいたくて
この詩を書いたわけではないと思います。


最初に一番大事なことを味わうことなく
想うことなく、話し合うことなく
何が国語でしょうか。

こんなことを“分析”するために
国語の授業は必要なのでしょうか。


こういうふざけた解説・導きが載っているから
私は国語の授業が大嫌いでした。

それとも私の感覚がおかしいのでしょうか・・・・?

この詩をよんで、もし、まともに全て答えられた生徒がいたとしたら
その人は本当にはこの詩を読んではいない、と私は思ってしまうのですが

どうでしょうか・・・・。
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by signaless5 | 2009-11-17 16:47 | 思うこと

赤眼の蠍

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続橋達雄氏が、著書『賢治童話の展開』第4章「オツベルと象」で
「白象の赤い眼」について書いておられます。

最初は小さなその眼を細めてわらっていた白象は、
オツベルのしかたがだんだんひどくなってくるとなかなか笑わなくなり、
<時には赤い龍の眼をして、ぢっと>オツベルを見おろすようになってきます。
保阪嘉内あて書簡165番の「いかりは赤く見えます。」というのに通じる、
ということだと思いますが、
そこでふと私が連想したことは、「赤い目玉の蠍」についてでした。

本来、蠍座の主星アンタレスは
一般には蠍の“心臓”といわれているようで、
位置的にも、そして同じような明るさの星とは対をなしていないことからも、
やはり「眼」というより「心臓」と見るのが自然のような気がします。
《新修宮沢賢治全集第12巻月報9》にて、草下英明氏も
そのあたりの疑問を述べられています。
私もかねてからなぜ賢治はこの赤い星がさそりの眼だとしているのかが疑問でした。

しかし、白象と同じく、赤い眼の色が「怒り」の色だとすると
納得できるような気がします。

『銀河鉄道の夜』に、蠍の話が出てきます。
いたちから逃れて、井戸に落ちてしまった蠍が、
こんなことならいたちに命を呉れてやったほうがよかった、と
たいへん後悔する、というものです。

この蠍は、このとき、怒ってはいなかったでしょうか。
自分は小さな虫やなんかを殺してたべて生きていたのに
いざ、自分が食べられそうになると、必死で逃げた末に
無駄な死に方をしなければならない・・・。
この怒りは、自己に対する怒りです。

賢治は「ひとりの修羅」でした。
修羅というのは、「自己に対する怒り」ではないかと私は思っています。
はぎしりもえて行き来するのは、
決してほかに向けた怒りではなく
自分に対するどうしようもない怒りのせい・・・・。

だとしたら、賢治はずっと、この蠍に自分の姿を重ねてきたのではないでしょうか。
そう考えると、作品の中に、星座のなかでも蠍を取り上げたものが多いのも
わかるような気がします。

もちろん、賢治が蠍を歌ったのは
「修羅」という言葉を使い始めるまえからかもしれませんが
自らの無力に苦しみ悶える若き日の賢治は、
蠍に己の姿を重ね、救いを求めていたのだと思います。

「銀河鉄道の夜」の蠍の挿話が、どこかに出典があるのか、
だとしたらいつから賢治が知っていたのかはわかりませんが、
自分に怒り、悶え苦しむ蠍の姿は
修羅そのものではないでしょうか。

賢治にとっては、蠍座に輝くのは「怒りの赤い眼」、
どうしても、そうとしか感じられなかったのかもしれません。


その修羅である蠍も、祈りによって美しい火になり燃えて
いつまでも夜の闇を照らすことができるのです。
それが、賢治が蠍座を愛したゆえんであり、
賢治が望んだのは、蠍のようなその姿なのかもしれません。

そうして、賢治は、
たしかに美しい光になって
私たちの心を照らしているのだと思います。
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by signaless5 | 2009-11-15 12:11 | 童話

続橋達雄氏の『南吉童話の成立と展開』という本を読みました。
1983年(大日本図書株式会社)発行の本です。

新美南吉の童話はそれほど読んでいるわけではありませんが
南吉の童話と南吉自身について理解を深めることができました。

正直、これまではいわゆる「作品研究」というものにはあまり興味が無く
作品は作品として、楽しんで味わいたい、
作者本人ならともかく他者の解説などいらぬ、と思っていた私(何という偏屈!)に
その目を開かせてくれた本です。

作品が書かれた背景や作者の状況、心理状態などを丁寧に追い
作品と作者への理解を深めようという作業は
当然のことですが、やはり作品を読み込み、作者のことを理解していないとできないことです。
続橋氏は、一見大変地味なこういった研究を、コツコツと重ねられてきた
典型的な「学者」というような方ではないでしょうか。

これまで私は南吉の姿を
才能があり教師をしながら童話を書いて
文学界にも認められていたが夭折した作家・・・としかとらえていませんでした。
その裏側に見えてきたのは、悩み苦しみながら作品を書くことで
なんとか自分が生きた証を残そうとした一人の孤独な青年の姿でした。
時に、人に対して懐疑的でもあり
愛を求めながら、どこかその懐に飛び込めきれない屈折した淋しさ。

先に私の友人が南吉を「破壊的・救いがない」と感じたのは
そういう面からでしょうか。

決して南吉を否定するわけではなくむしろ逆で、
おそらく人間は誰しもそういう部分は持っているのではないでしょうか。
いつしか私は南吉の心に寄り添っていました。



さて、とはいえ賢治と南吉・・・
今回ふたりの違いにも、気付くことができました。
やはりそれを認識して、
私は賢治が好きでたまらないのだと実感したことでもあります。


南吉が童話集に書いた「あとがき」と
賢治の童話集の「序」にもその違いがよく現れていると思います。

<この童話集は、まったく私一人の心から生まれてきたものです。久助君、浜太郎君、徳一君、大作君達は、みんな私の心の中の世界に生きてゐるので、私の村にだってそんな少年達がじっさいにゐるのではありません。>
<これは純粋な私の創作集ですから>
<君達がおもしろいと思ってくれるかくれないかーそれがいちばん心配です。>
=南吉



<これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらつてきたのです。>
<ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。>

 <ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。

 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。>
=賢治



南吉は、一生懸命自分の頭のなかで創作したことを書き、
賢治は、「どうしてもこんなことがあるようでしかたない」ことを書いた。

南吉は、「君達がおもしろいとおもってくれるかどうか、それが心配」と書いた。
賢治は、「あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることをねがふ」と書いた。

これは単に表現の違い、ということではないと思います。

それから
南吉の自然は、人間から見た自然であり、外から眺め、想像した自然で
賢治の自然は、自然の中の人間であり、その中に入って体験した自然、
・・・だと思うのですが、この違いも、大きいのではないでしょうか。

これは南吉に限ったことでなく
多くの作家と賢治との違い、かもしれません。

あらためて、賢治の素晴らしさ、スケールの大きさを実感しました。
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by signaless5 | 2009-11-08 11:11 |