今年の賢治祭は・・・

賢治ファンなのに賢治祭について触れなかったのはなぜか。

私がいつも拝見させて戴いている
賢治関係のサイトの方々もことごとく花巻入りで
イギリス海岸の泥岩がちょっと見えたとか
賢治祭は楽しかったとか
「銀河鉄道の夜」にちなんだ料理だとか
研究発表は素晴らしかったとか・・・(?)

せっかくのシルバーウィークに
ほとんど仕事だった私とは大違い。

報告の記事を見るたびに
「そんなに人がたくさんいるイギリス海岸なんて行くもんか~」とか
「下根子桜の詩碑跡にはひっそりと行った方がいいに決まってる」とか
「そんなのお腹に入ればみんなおんなじだい」とか
「あとで誰かに聞くからいいもん」とか・・・。

これはおそらく
日頃のおこないのちがいでせうね。

先週はパソコンの前でひとりいじけていた一週間でした。
ちくしょー(T_T)
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by signaless5 | 2009-09-28 13:00 | 賢治

宗教と科学の融合、
賢治はそれだけでなく
「芸術」もそこに加えるべきだと考えていたのでしょう。

「万物を司る大きな存在」を感じることが宗教とすると
それを証明することが科学、
その感動を表現し伝えるのが芸術といえるでしょうか。

賢治はそのどれもを索めた・・・。

美しい賢治の作品に感化・共鳴して
私たちもまた自身で体感していく。


小十郎がすぐ下に湧水のあったのを思ひ出して少し山を降りかけたら愕いたことは母親とやっと一歳になるかならないやうな子熊と二疋丁度人が額に手をあてゝ遠くを眺めるといった風に淡い六日の月光の中を向ふの谷をしげしげ見つめてゐるのにあった。小十郎はまるでその二疋の熊のからだから後光が射すやうに思へて釘付けになったやうに立ちどまってそっちを見つめてゐた。すると小熊が甘へるやうに云ったのだ。「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなってゐるんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん」すると母親の熊はまだしげしげ見つめてゐたがやっと云った。「雪でないよ、あすこへだけ降る筈がないんだもの。」小熊はまた云った。「だから溶けないで残ったのでせう。」「いゝえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです。」小十郎もぢっとそっちを見た。
月の光が青じろく山の斜面を滑ってゐた。そこが丁度銀の鎧のやうに光ってゐるのだった。しばらくたって小熊が云った。「雪でなけぁ霜だねぇ。きっとさうだ。」ほんたうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃(コキエ)もあんなに青くふるえてゐるし第一お月さまのいろだってまるで氷のやうだ 小十郎がひとりで思った「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花」「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ。」「いゝえ、、お前はまだ見たことがありません。」「知ってるよ、僕この前とって来たもの。」「いゝえ あれひきざくらでありません、お前とって来たのきさゝげの花でせう。」「さうだろうか。」小熊はとぼけたやうに答へました。小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向ふの谷の白い雪のやうな花と余念なく月光をあびて立ってゐる母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないやうにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思ひながらそろそろと小十郎は後退りした。くろもぢの木の匂ひが月のあかりといっしょにすっとさした。
          (「なめとこ山の熊」新校本宮沢賢治全集第10巻より抜粋)


賢治もおそらくこいつかどこかで
このような光景をみたことがあったのでしょうか。
これを読むたび、私も小十郎といっしょになって
春の山で胸をいっぱいにして、
こっそりこっそり後退りしているような気になるのです。

輝かしい命への慈しみ、畏敬、喜び。
ひと言で言えば「光」を見たのかもしれません。
その光とは、「いみじい生物の名前」なのでしょう。

同じ場面に出くわして
「うわっ、熊だ、逃げろ」と思うか
ふたつの尊い“命”を見て涙を流すか・・・。

そこが賢治と私の違いかもしれませんが
「こんなに美しいものをみたよ」と賢治が語りかけてくれているのを
すこしでも受けとることができるように
これからも耳を澄ませていきたいと思うのです。
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by signaless5 | 2009-09-24 20:55 | 賢治

レイチェルと賢治

私がレイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」を読んだのは
もう10年以上前になります。
その時にもレイチェルは賢治と非常に似たものを持った人だと感じましたが
ある賢治の会の会報誌に載っていた
今井美和さんの文章「センス・オブ・ワンダーをとおして」を読み、
そのときの感動が蘇ってきました。

この「センス・オブ・ワンダー」という言葉の意味を説明するのは
非常に難しいことですが、
『神秘さや不思議さに目を見張る感性』」ということでしょうか。
しかし、今回今井さんの文章を読み
もっと深い意味では
その感性で自然やあらゆるものを見つめた、
その先にあるものを感じ、知ること・・・という思いを強くしました。


恥を承知で私の稚拙なことばでいうならば
自分が在ることの奇跡と、
その自分が存在するこの宇宙があることの奇跡を感じること。
それは、人間を超えた大きな力であり
釈迦が「南無妙法蓮華経」と説き、キリストが神と呼んだものであり、
賢治のいう「万象同帰のそのいみじい生物の名」ではないのでしょうか。

レイチェルは、干潟で一個の巻き貝を見つたとき
かつてそこに一世紀前にいたフラミンゴの群れを見ることができましたが
賢治は、地層やひとかけらの岩石から
何億年も前の、大きなシダが生え爬虫類の徘徊する時代へと飛ぶことができました。

一滴の葉の上の露に永遠の生命を見いだす。
スギナの胞子の行方を追ったその目で宇宙の果ての広がりを見る。

月へ降り立った宇宙飛行士が
「地球に生まれたこと、それだけで奇跡だ」といったそうですが
賢治は地上に居ながらにしてそれを知っていた・・・。

私はそれは、決して特別な能力だとは思いません。
科学の意味と意義は
きっと、そこにあるのではないでしょうか。



今井さんの書かれたものを読み
私は、いままでなんとなくわかってはいたけれど
ぼんやりとしていたものにすっとピントが合い
すべてがはっきりとした、そんな感じがしたのです。
賢治が何をいいたかったのか、
何を目指していたのか、
何を索めていたのか・・・。
心象スケッチや童話で描きたかったこと。
法華経や実践を通じて人々に与えたかったこと。
サイエンチストとして証明したかったこと。
それらはおそらくすべて同じことであり、
たったひとつのことなのだということ、
すべてのことが繋がった、そんな気がしたのです。
そして、つまりは私自身が進むべき道も。

私はこれまで、なぜ自分がこれほど賢治に惹かれるのか、
なぜ離れられないのか、
わかったようでいてもはっきり説明ができませんでした。

今ならそれがわかったような気がするのです。
「まこと」を索める賢治は、すなわち「まこと」なのではないでしょうか。
「まこと」であるからこそ、難しいことはわからなくても
詩や童話を読めば、私たちの魂の奥深くに響いてくるのではないでしょうか。

私は、私が賢治を想うとき、賢治とひとつにあることを感じます。
自然の中で風を感じるときにも賢治を感じ、
私の中に賢治があることを感じます。
以前は、自分はおかしいのだろうかとも思ったりしました。
でも、そうではないのかもしれません。

「私たちは昔からのきょうだい」なのだという。
「世界全体が幸福にならなければ」いけないのだという。
なぜならみんなひとつの世界。
みんなが繋がっている世界。
私が息を吸う。その空気は、この世界の物質。私の中で燃焼する。私の身体もこの世界の物質。私が食べる。食べたものが私の身体になる。私の身体は、また違う物質に変化する。
すべてのものが連鎖する世界。

物質的にも繋がっているが、精神も繋がっているかもしれない。
賢治の精神は残っている。
どこかに漂い、誰かの中に入ったりもする・・・。

宗教と科学は相対するものではなく
同じ方向に向かって融合するもののはずです。
宗教も科学も万物のためにならなくてはなりません。

私たちが目指すべきもの、
護るべきもの、
それは自身の魂の声にちゃんと耳を傾ければ
わかることなのかもしれません。

 
・・・追記 

先日、図書館で「センス・オブ・ワンダー」を借りてきたので
この記事を読み直していたところ
表現に誤解をまねくようなところを発見しましたので一部書き直しました。
アップしてからだいぶ時間が経ってしまったので
大変ご迷惑をおかけしたかもしれません。
申し訳ありませんでした。(2009.10.14)
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by signaless5 | 2009-09-21 23:59 | 賢治

少し前に私は宮澤トシについての記事を書きましたが
最近になって手にした一冊の本、
山根知子著「宮沢賢治 妹トシの拓いた道」(2003年初版)は、
「宮澤トシ」についてさらに深く研究されたものでした。

トシがある事件によって深く傷つき、悩みぬいていたことは
先の記事にも書いたとおりですが
山根さんは、トシが日本女子大学で学んだことにより
創立者である成瀬仁蔵校長の教育理念やその内容
(タゴール・ジェームス・メーテルリンク等)から
いかに大きな影響を受けたかを綿密に調べられています。
さらにそれらが賢治に与えた影響の大きいことも。

トシの姿を見つめ理解した兄・賢治だったからこそ
トシの死後もその行く末を案じ、
さらに深く追求していったのではないでしょうか。

これまで私は一賢治ファンとしていろんな研究書を読んできました。
もちろん一般人として、できる範囲のでのことですので
偏りがあったり、読むべきものを読んでははいないこともあるかと思いますが
何のために研究をするのか、なぜ研究するのか、という
基本的なことがしっかりと筋が通っていて
研究される側も提供される側(読者)も、得るものが大きいと
感じることは、正直言って少ないです。
この本はまさにその数少ないうちの一つとして
私にとって大切な本になりました。

私は、ちょうど賢治から離れていた時期だったということもあるのですが、
情けないことにこの本の出版の翌年に、山根さんが
宮沢賢治賞奨励賞を受賞していたことも知りませんでした。
やはり当然のこと、と安堵するような思いとともに
同性として、また同年代として、
素晴らしい研究に取り組み活躍されている姿に
大変うれしく心強く思いました。


ほどなくして
山根知子さんのインタビュー記事があると友人に教えてもらい、
ある会報誌を見せてもらいました。
考えてみればこれもとても不思議な巡り合わせです。
 
著書「宮沢賢治 妹トシの拓いた道」を読んだ時
真摯な研究家という印象を持ちましたが
それは間違っていなかったことを知りました。

それは山根さんが
トシに大変な苦しみをもたらした当時の新聞のゴシップ記事を
“見つけてしまった”と感じられたことからもよくわかります。
公表していいのだろうか、とたいへん迷われたようです。
それは彼女が、トシの心を尊重し、寄り添っているからこその迷いでしょう。
研究家としての姿勢をそこに見ました。

山根さんは「実感」を大事にされています。
最終的には客観的な言葉でしか書かないけれど
その間に自分が実感し追体験した上で概念的な言葉にしていく・・・
これは非常に重要なことだと思うのです。
言葉の上だけで考えたのと、実感したことを理論的に整理するのとでは
たとえ同じようなことを述べていても
その先にあるものは全くちがうものになると思います。

「宮沢賢治 妹トシの拓いた道」をまとめられている間にも
不思議な縁や導きがあったとのことですが
これは、今の私にはとてもよくわかることです。
何か目に見えない力が働いているとしか思えないようなこと、
奇跡のようなことが私自身にもあるからです。
こういうことは体験した者でないと、なかなか理解しがたいことだとは思います。

そして何より、山根さんがこのインタビューの中で、
自分の持っているどうしてもはずせないような関心事やもともと持っている個性、そこから離れないで本当に妥協はしないで、しっかり考えていった方がいい、いつも忘れずにいれば、何となく導きの手が向こうから来るから・・・というようなことを言われていて、
それはまるで自分のために言われているような気がして
大変勇気づけられました。
学生さんたちに対しては
「その研究をしたことによって自分が生きるというレベルに還元できる何がつかめたのかというところまでやっぱりいってほしいのです。」
と言われています。
私は研究者ではありませんが、たとえ一ファンであっても
追求する以上は、同じことがいえるのだと思います。

私はこの記事を読んで
まるで自分のこれからの道筋を指し示されたような
あるいはそれでいいんですよ、と背中を押していただいたような
そんな気がして胸がいっぱいになってしまいました。

そして山根さんのこのような深いお話を引き出されたのは
インタビュアーの力が大きいことも感じました。

はたしてこの今井美和さんという方はどういう方かしら・・・
そう思っていたら、この方の書かれた論文も
非常に素晴らしいものでした。
そのことは次に書こうと思います。
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by signaless5 | 2009-09-20 15:59 |

忘れもの

私が宮沢賢治を好きになったのは
高校生の時でした。

それ以来、賢治のことを追い続けていますが
必ずしもいつも賢治に関することに触れていたわけではなく
どっぷりその世界に浸るときもあれば
しばらく離れているときもありました。

ただ、いつであっても、
一度私の中に深く刻まれたものは消えることなく
表面上はなにもなくても
深いところでは賢治の心が私の中で確実に
静かに燃えていたのです。


とはいえ、
子育て中、特に2番目の子どもが産まれてからは
自分自身のことを考えたり
やりたいことをするゆとりもなく
賢治学会の会報が届いたとしても
定期購読している書籍が来ても
パラパラとめくってみるだけで
深く読む気力も湧かず、興味のある読みやすそうなものだけ読み
あとは題名だけ見てそのまま「積ん読」状態が続きました。

下の子が小学校に入学したのを期に
少しずつ自分のことを考えるゆとりができ、
再び賢治の世界にも触れることができるようになり
それからはまるで、これまでの分を取り返すかのように
また賢治、賢治の毎日で
家族からはほとほとあきれられています。


ただ、その間のブランクは思ったより大きいことに
最近になって痛感しています。

本棚のバックナンバーを引っ張り出してみると
ずいぶん置いてきぼりをくったような気もします。
こんな素晴らしい論文が発表されていたのか、とか
こんな真摯な研究家がいたのか、とか・・・・。

解ったつもりでいて
実はなにも解っていないことに気づき
愕然とすることも多々あります。

置き忘れてきたものを、今、一つづつ拾いあげるたび
取り返しのつかない時間の流れに
云いようのない悔しさや焦りのようなものを感じますが
それを言い出せば
さらに遠い昔、賢治に出会った頃に戻らねばなくなってしまいます。

国語の授業が一番嫌いだなどといわず
もっと勉強しておくべきだったな~と
いまさらどうにもならないことを思ったりもします。

実に愚かなことです。
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by signaless5 | 2009-09-17 18:09 | 思うこと

映画二本

この前、DVDを借りてきて映画を観ました。
その中の2本がとてもよかったです。

「未来を写した子どもたち」
「イン・トゥ・ザ・ワイルド」

生きるとは。
幸せとは。
希望とは。
人との触れあい。
愛。
豊かさとは。
何のために勉強するのか。
教育とは。
ほんとうに大事なものは何か。
自由とは。

ふたつの映画は、まったく違うものに見えて
じつは共通するさまざまなことを考えさせられます。

「未来を写した子どもたち」は、
豊かさに慣れ、欲しいものはなんでもあり、
してもらうことが当たり前になっている今の日本の子供たちに観て欲しい。

貧しく過酷な環境にある彼等が他人への思いやりを育んでいるのに対し、
豊かな国の子供は自分のことしか考えられない、という気がしてなりません。


「イン・トゥ・ザ・ワイルド」は悲しい結末にもかかわらず、
すがすがしささえ感じます。
それは彼が、精一杯「生きる」ことを追い求めたからでしょうか。
最後に主人公のクリスが見る青空。
そこで私は、賢治のある詩を思い浮かべました。

どちらの映画も、映像が美しく、音楽がいい。
どちらも大ヒットにはならないたぐいの映画化も知れませんが
見た人の奥深くにしっかりと何かを残してくれるような気がします。



   「眼にて云ふ」
 
   だめでせう
   とまりませんな
   がぶがぶ湧いてゐるですからな
   ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
   そこらは青くしんしんとして
   どうも間もなく死にさうです
   けれどもなんといゝ風でせう
   もう清明が近いので
   あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
   きれいな風が来るですな
   もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
   秋草のやうな波をたて
   焼痕のある藺草のむしろも青いです
   あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
   黒いフロックコートを召して
   こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
   これで死んでもまづは文句もありません
   血がでてゐるにかゝはらず
   こんなにのんきで苦しくないのは
   魂魄なかばからだをはなれたのですかな
   たゞどうも血のために
   それを云へないがひどいです
   あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
   わたくしから見えるのは
   やっぱりきれいな青ぞらと
   すきとほった風ばかりです。


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by signaless5 | 2009-09-07 08:30 | 映画

木のおもちゃ

夏休みのある日、仕事でお隣のK町の役所に行ったので
ついでに図書館に寄りました。

そこの図書館には、入ってすぐ横に展示の部屋があります。
偶然にもちょうど「木のおもちゃ展」が開催されていて、
私は、自然とそこに引き寄せられていきました。

そこには懐かしいYさんの作品もいくつか並んでしました。
会場に入ってすぐにそれとわかりました。

Yさんが亡くなってから今年でちょうど10年になります。
彼は自宅の一室で、
いろんな種類の木を使って
童話や物語、子どもの遊びなどを題材に
たくさんの楽しく美しい作品を造りだしていました。

二人の娘さんのためにも、楽しいゲームを造ったり。
木のぬくもりはそのままお父さんの愛情。
独創性のある、素晴らしい、
世界にひとつだけの、まさに宝物のような作品たちでした。

この同じ会場で、他の仲間達といっしょに
毎年のように「木のおもちゃ展」をやっていて
私も何度かここに見に来ました。

彼は、私が賢治ファンだと知ると
「注文の多い料理店」を題材にした作品を造ってくれました。
とても素晴らしい作品でした。

夏休みもとうに終わり、
そろそろ木枯らしが吹きそうな11月のある日、
一枚の葉書で、9月に彼が亡くなったことを知りました。
葉書を手に、しばらくその場に立ちつくしていたのを覚えています。
通勤途中の事故だったそうです。


今回そこに並んでいた彼の作品のなかのひとつに、
「ごんぎつね」がありました。

よく見ると、鉄砲で打たれて横たわるごんの足のうらは傷だらけです。
兵十のために山で一生懸命クリを拾っていて
イガで傷ついたのです。
そしてすべてを知った兵十のなんともいえない表情・・・。
これを見たとき、私は思わず泣いてしまいそうになりました。

こんなナイーブな素敵な表現をする人が
もうこの世にいないのかと思うと残念でなりませんでした。

もっといろんな話をしたかったなぁ。
賢治の作品もたくさんつくって欲しかったなぁ・・・。

あれから10年。
小学生だった娘さん達は、もうずいぶん大きくなっていることでしょう。
お父さんがいなくなって、淋しかったと思うけれど
残されたたくさんの愛情こもった作品が
きっと彼女たちの心の支えになったのではないかと思います。


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「注文の多い料理店」

山猫がひいている台車に木の札が積んであり
童話の中の言葉が書いてあります。
この札は「山猫軒」のドアの後ろに差し込めるようになっているのです。
窓から覗く山猫たちも、、二人の猟師も、
家のまわりの木も取り外して遊べます。
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by signaless5 | 2009-09-02 12:15 | 思うこと