題名をみて、何言ってんの?雪なんて降ってないよ、と思わないでくださいね。


 一〇〇四 [今日は一日あかるくにぎやかな雪降りです ]  
                                  一九二七,三,四

 今日は一日あかるくにぎやかな雪降りです
 ひるすぎてから
 わたくしのうちのまはりを
 巨きな重いあしおとが
 幾度ともなく行きすぎました
 わたくしはそのたびごとに
 もう一年も返事を書かないあなたがたづねて来たのだと
 じぶんでじぶんに教へたのです
 そしてまったく
 それはあなたの またわれわれの足音でした
 なぜならそれは
 いっぱい積んだ梢の雪が
 地面の雪に落ちるのでしたから

      雪ふれば昨日のひるのわるひのき
      菩薩すがたにすくと立つかな


先日友人から宮沢賢治のシリーズ化された絵本を数冊、借りてきたのですが
その中に「詩」にも絵を付けたものが一冊ありました。
それをめくっていてふと目についたのがこの詩です。

「一年も返事を書かないあなた」って・・・だれ・・・・?
と、気になりました。
もしかして嘉内のことでしょうか。

嘉内の手元に残っていた賢治からの最後の書簡は
大正一四年六月二五日の日付のものです。
「来春はわたくしも教師をやめて本統の百姓になって働らきます・・・」
と書かれている手紙です。

大正一四年は1925年ですから
一年というのは違うかもしれませんが
これは詩ですから
変えてあるかもしれないし
その間に嘉内から返事がきて、それに対する返信を1年も出していない・・・・
ありえますよね。

仮に嘉内ではないとしても、最後に付けた短歌は
大正6年7月1日発行「アザリア」第一号に
賢治が載せた20作「みふゆのひのき」の中の1作なのですから

「あなた」とは
アザリアのメンバーの中の一人であると考えてもいいのではないでしょうか。

それがどうした、といわれればそうに違いないですけど。

「あなた」を嘉内と仮定して(わたしはそうに違いないと思いますが)、
賢治がどれほど嘉内を想っていたか・・・・
賢治のこころをのうちを思うと涙が出るのです。。。。
[PR]
by signaless5 | 2008-04-14 00:00 |

勿忘草の歌

先日、花の話からワスレナグサの名がでて
この歌を思い出しました

これは賢治の心友、保阪嘉内に関係する歌です


 勿忘草の歌
   
  捕らよとすればその手から小鳥は空へ飛んで行く
  仕合わせ尋ね行く道の遙けき眼路に涙する

  抱かんとすれば我が掌から鳥はみ空へ逃げて行く
  仕合わせ求め行く道にはぐれし友よ今何処

  流の岸の一本(ひともと)はみ空の色の水浅葱
  波悉く口付けしはた悉く忘れ行く


誰が作ったのか
何の歌か
よくわかりませんが
-保阪家家庭歌-とありますので
嘉内の家に伝わっている歌ということでしょうか


賢治の詩『春と修羅』のなかの「習作」という詩にも
この歌の最初のフレーズが出てきます。
1922年5月14日の日付のある作品です。

このころ賢治は野山を歩きまわったりして
詩を作りました

やわらかな春の日差しのなかで
帽子を顔にのせて草地に寝ころんでいる賢治が目に浮かびます

その帽子をいたずらで
そおっととってしまう・・・
そんな妄想をついついしてしまうのですが。
わたしってヘン?
ヘンですよね・・・


あらあら、嘉内をかくつもりで、けっきょく賢治になってしまいました。。。

私もどこかの野原にでも行きたいなぁ・・・
[PR]
by signaless5 | 2008-04-11 00:00 | 嘉内

風がおもてでよんでいる

最近、朝4時ころに目が覚めてしまいます。

いつもならそのまま目覚ましが鳴るまで
浅く眠ってしまうのですが
今日は外で風の音が強くて
びゅうびゅうというその声(音?)を聞いていたら目がさえてしまいました。

外で風の音が鳴っているのを聞くと
いつも思い出すのが賢治のこの詩です。


[ (風がおもてで呼んでいる)先駆形 ]


 おもてで風が呼んでいる
 
 起きあがり

 赤いシャツと

 終わりのぼろぼろの外套を着て

 暗いみぞれの風のなかに出て行き

 葉のない黒い林のなかで

 早くわたくしと結婚しろと

 風がおもてで叫んでいる




最終形とされる長いほうの詩も好きですが
わたしはこの先駆形の、二人称(?)のものが好きです。
(決して書き写すのをさぼったわけではありません!)
[PR]
by signaless5 | 2008-04-10 00:00 |

春と修羅

1922年の今日、4月8日、賢治は心象スケッチ 『春と修羅』を描きました。

春と修羅
         (mental sketch modified)

   

   心象のはいいろはがねから

   あけびのつるはくもにからまり

   のばらのやぶや腐植の湿地

   いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様

   (正午の管楽(くわんがく)よりもしげく

    琥珀のかけらがそそぐとき)

   いかりのにがさまた青さ

   四月の気層のひかりの底を

   唾(つばき)し はぎしりゆききする

   おれはひとりの修羅なのだ

   (風景はなみだにゆすれ)

   砕ける雲の眼路(めぢ)をかぎり

    れいらうの天の海には

     聖玻璃(せいはり)の風が行き交ひ

      ZYPRESSEN 春のいちれつ

       くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ

        その暗い脚並からは

         天山の雪の稜さへひかるのに

         (かげらふの波と白い偏光)

         まことのことばはうしなはれ

        雲はちぎれてそらをとぶ

       ああかがやきの四月の底を

      はぎしり燃えてゆききする

     おれはひとりの修羅なのだ

     (玉髄の雲がながれて

      どこで啼くその春の鳥)

     日輪青くかげろへば

       修羅は樹林に交響し

        陥りくらむ天の椀から

        黒い木の群落が延び

          その枝はかなしくしげり

         すべて二重の風景を

        喪神の森の梢から

       ひらめいてとびたつからす

       (気層いよいよすみわたり

        ひのきもしんと天に立つころ)

   草地の黄金をすぎてくるもの

   ことなくひとのかたちのもの

   けらをまとひおれを見るその農夫

   ほんたうにおれが見えるのか

   まばゆい気圏の海のそこに

   (かなしみは青々ふかく)

   ZYPRESSEN しづかにゆすれ

   鳥はまた青ぞらを截る

   (まことのことばはここになく

    修羅のなみだはつちにふる)

   

   あたらしくそらに息つけば

   ほの白く肺はちぢまり

   (このからだそらのみぢんにちらばれ)

   いてふのこずえまたひかり

   ZYPRESSEN いよいよ黒く

   雲の火ばなは降りそそぐ

   
賢治はいったい何にいかり、はぎしりし、ゆききしていたのだろうか・・・

賢治の抱いていたものと
私の抱くものの
質は雲泥の差があるとは思うけど
その気持ちは少しはわかるような気がするのです・・・

難しいことはわかりませんが
そういう同感のようなものが
賢治と出会ってからずっと私が彼を想いつづける理由かもしれません・・・
[PR]
by signaless5 | 2008-04-08 00:00 |