カテゴリ:童話( 10 )

ホモイの目(Ⅱ)

子兎のホモイは、川に流されたひばりの子を助けて
鳥の王様から『貝の火』という宝珠をもらいます。

「これは有名な貝の火といふ宝物だ。これは大変な玉だぞ。これをこのまゝ一生満足に持ってゐる 事のできたものは今までに鳥に二人魚に一人あっただけだといふ話だ。お前はよく気を付けて光をなくさないやうにするんだぞ。」

お父さんの忠告にホモイは

「それは大丈夫ですよ。僕は決してなくしませんよ。そんなやうなことはひばりも云ってゐました。僕は毎日百遍づつ息をふきかけて百遍づつ紅雀の毛でみがいてやりませう。」
「大丈夫だよ。僕なんかきっと立派にやるよ。」

そういいながらやっぱりホモイは
他の動物たちの尊敬を集めるうちに
少しずつ調子に乗ってしまいます。
お父さんに叱られても、
まだ『貝の火』がもっともっと赤く燃えているのを見て
また罪を重ねてしまいます。
そして3度目には、どんなに悪いことをしても
『貝の火』の輝きが変わらないのをいいことに得意になってしまいます。

ついには狐にだまされて、鳥達を捕まえる手助けをし
とうとう『貝の火』の炎は消えてただの白い石になってしまいました。
そしてそれが砕けて粉が目に入り
ホモイは、まったく物が見えなくなってしまいます。

お父さんは
「泣くな。こんなことはどこにもあるのだ。それをよくわかったお前は、一番さいわひなのだ。目はきっと又よくなる。お父さんがよくしてやるから。な。泣くな。」

と慰めましたが
調子に乗ったホモイが悪いとはいえ、
なんとも悲しい結末です。

最初から「僕は大丈夫」と思っていること自体がもう慢心であり
父の度重なる忠告にも、シュンとはしても
ホモイには、何が悪いのか、自分が何をしているのかが
少しも見えてはいなかったのです。

曇ってしまった『貝の火』によって
物が見えなくなったとき
はじめてホモイは自分のしてきたことが見えたのです。

このお話のつづきは
私はこう考えます。

ホモイがつぎに涙を拭いて
鈴蘭の葉がきらきら光り、つりがねそうが
「カン、カン、カンカエコカンコカンコカン」と
朝の鐘を高く鳴らす外へ出て行ったとき、
その目は少しずつ、ほんとうに見えるようになるのです。

本当に愛情をもって見守ってくれている人(兎?)の存在に気づいて
そのいうことをよく聞き、
あらゆるものに感謝する心を得ることができれば
ホモイはきっと生まれ変わって生きることができると
そう思います。
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by signaless5 | 2010-02-28 11:20 | 童話

赤眼の蠍

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続橋達雄氏が、著書『賢治童話の展開』第4章「オツベルと象」で
「白象の赤い眼」について書いておられます。

最初は小さなその眼を細めてわらっていた白象は、
オツベルのしかたがだんだんひどくなってくるとなかなか笑わなくなり、
<時には赤い龍の眼をして、ぢっと>オツベルを見おろすようになってきます。
保阪嘉内あて書簡165番の「いかりは赤く見えます。」というのに通じる、
ということだと思いますが、
そこでふと私が連想したことは、「赤い目玉の蠍」についてでした。

本来、蠍座の主星アンタレスは
一般には蠍の“心臓”といわれているようで、
位置的にも、そして同じような明るさの星とは対をなしていないことからも、
やはり「眼」というより「心臓」と見るのが自然のような気がします。
《新修宮沢賢治全集第12巻月報9》にて、草下英明氏も
そのあたりの疑問を述べられています。
私もかねてからなぜ賢治はこの赤い星がさそりの眼だとしているのかが疑問でした。

しかし、白象と同じく、赤い眼の色が「怒り」の色だとすると
納得できるような気がします。

『銀河鉄道の夜』に、蠍の話が出てきます。
いたちから逃れて、井戸に落ちてしまった蠍が、
こんなことならいたちに命を呉れてやったほうがよかった、と
たいへん後悔する、というものです。

この蠍は、このとき、怒ってはいなかったでしょうか。
自分は小さな虫やなんかを殺してたべて生きていたのに
いざ、自分が食べられそうになると、必死で逃げた末に
無駄な死に方をしなければならない・・・。
この怒りは、自己に対する怒りです。

賢治は「ひとりの修羅」でした。
修羅というのは、「自己に対する怒り」ではないかと私は思っています。
はぎしりもえて行き来するのは、
決してほかに向けた怒りではなく
自分に対するどうしようもない怒りのせい・・・・。

だとしたら、賢治はずっと、この蠍に自分の姿を重ねてきたのではないでしょうか。
そう考えると、作品の中に、星座のなかでも蠍を取り上げたものが多いのも
わかるような気がします。

もちろん、賢治が蠍を歌ったのは
「修羅」という言葉を使い始めるまえからかもしれませんが
自らの無力に苦しみ悶える若き日の賢治は、
蠍に己の姿を重ね、救いを求めていたのだと思います。

「銀河鉄道の夜」の蠍の挿話が、どこかに出典があるのか、
だとしたらいつから賢治が知っていたのかはわかりませんが、
自分に怒り、悶え苦しむ蠍の姿は
修羅そのものではないでしょうか。

賢治にとっては、蠍座に輝くのは「怒りの赤い眼」、
どうしても、そうとしか感じられなかったのかもしれません。


その修羅である蠍も、祈りによって美しい火になり燃えて
いつまでも夜の闇を照らすことができるのです。
それが、賢治が蠍座を愛したゆえんであり、
賢治が望んだのは、蠍のようなその姿なのかもしれません。

そうして、賢治は、
たしかに美しい光になって
私たちの心を照らしているのだと思います。
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by signaless5 | 2009-11-15 12:11 | 童話

インドラの網(その2)

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「インドラの網」についてもう少し。

私はこの「インドラの網」というのは、
いったい何のことなのか、
よく解らない感じがずっとありました。

あるいはインドラの宮殿を覆う網であるとしても
空にかかる網とはいったい、なんだろう。
この場合は賢治の想像?空想?幻覚?
それにしても不思議な感じ。

ところが最近、新聞のあるコラムで
「帝釈天がかけた網」について書かれているのを読み
なるほど、そういうことだったのかと合点がいきました。

それは仏典のたとえで
要約すると
帝釈天が世界に網をかけた。
その網目は他の編み目と無限につながっていて
その全体が網である。
個が単に集合して全体なのではなく
個の限りない「関わり合い」の総体が全体である。
たから網がなければ網目もないが、網目が一つでもなくなると網もなくなる。
これは仏教の縁起の社会観である。
・・・ということだそうです。
「帝釈天」とはインドラのことです。

確かに私たちは他との関わり合いなくしては生きられない。
どんなに引きこもろうと
たとえ無人島に置かれようと
その人がそこにある、つまり生を受けたというそのことだけ見ても
その人の存在自体、他と切り離してはあり得ないこと。
もっと広い意味で宇宙全体としてとらえても同じ事であり
人間だけでなく、あらゆる生き物、物質との関わりなくして
なにものも存在はできない・・・。

・・・ということだと思います。


賢治がどういう風に「インドラの網」をとらえていたのかはわかりませんが
ただ幻想としてインドラの宮殿を覆う光の網を想像するのと
そういう意味を持った網を想像するのとでは
また作品に対する味わいの深さも変わってくると思うし
賢治の「想い」のようなものに対する感じ方もちがってくるかもしれません。
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by signaless5 | 2009-10-30 12:38 | 童話

インドラの網

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ひさびさに読んだ賢治の『インドラの網』。

なんという美しい描写でしょうか。

夢とも現ともわからない世界。
黄昏時、魔法の時間に入り込んだか
疲れた「私」が見た幻想か・・・。

秋風の昏倒のなか
暗いこけももの敷物(カアペッット)を踏んでツェラ高原を行く・・・
過冷却水をたたえた湖
ぷりぷりふるえる宝石のかけらの散らばる天盤

そこでは時間の感覚さえもないようで
やがて空気の中にそらぞらしい硝子の分子のようなものが浮かぶと
空は鋼青から天河石の板に変わり
冷たい桔梗色の空間を
光る瓔珞をつけ、うすい衣を少しもみだすことなく翔ける天人・・・

壁画の中の3人の子供たちとともに
燃え立った白金のそらに太陽を拝めば
すっかり青ぞらに変わった天頂から
四方にはられたインドラの網の交錯の光を見る・・・
天の風の太鼓の鳴っていながら少しも鳴らないその向こうには
蒼い孔雀が宝石製の尾ばねをひろげる・・・・

孔雀はたしかにいるのに少しも見えず
「私」は、草穂と風の中に白く倒れている自分のかたちを
ぼんやりと思い出した・・・・・

ぼんやりと“思い出した”のだ・・・。


ため息がでるような作品。
どうすればこんなものが書けるのかと

こんなに美しい話だったかと

感嘆するほかない。
賢治を「天才」と呼ぶことには抵抗があるけれど
これは「天才」と呼ぶしかほかに言葉が見つからない。
こんな表現はほかの誰にもできはしないだろう、と私は思う。

読みながら私は賢治の声を聴くような気がしてならなかった。
聴こうとしたのではなく、
活字を追うと自然に、賢治の声が聴こえてくるような気がしたのだ。

こんな作品を読まされて
私は
ドキドキせずにはいられない・・・
せつなくならずにいられない・・・
求めずにはいられない・・・

「宮沢賢治」という魂。
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by signaless5 | 2009-10-29 20:26 | 童話

賢治と南吉(その2)

昨日からの続きです。
新美南吉について少し調べてみました。

新美南吉記念館の年譜にはこうあります。

 4歳で母を亡くし、6歳のとき継母を迎え、8歳で養子に出されました。


南吉自身が書いた小説の一部も載っていました。

 -略-   それはまだ彼が町にいた頃、近所の鍛冶屋の子と遊んでいた時その子の母親が言った言葉であった---「伸ちゃは、いはば要らん子だ、後から来たおっ母ちゃんに子供衆が出来なすったで。」   -略-

(「川」Aより)


 常夜燈の下で遊んでいるところへ、母が呼びに来て家につれられて帰ると、初という人が私を待っていた。少しの酒と鰯の煮たのとでささやかな儀式がすんで、私は新しい着物を着せられ、初という人につれられて、隣村のおばあさんの家に養子にいったのだった。
 九つだったか十だったか。
 おばあさんの家は村の一番北にあって、背戸には深い竹薮があり、前には広い庭と畑があり、右隣は半町も距たってをり、左隣だけは軒を接していた。そのような寂しい所にあって、家はがらんとして大きく、背戸には錠の錆びた倉が立ち、倉の横にはいつの頃からあったとも知れない古色蒼然たる山桃の木が、倉の屋根と母屋の屋根の上におおいかむさり、背戸口を出たところには、中が真暗な車井戸があった。納戸、勝手、竈のあたり、納屋、物置、つし裏など暗くて無気味なところが多かった。家は大きかlったが電燈は光度の低い赤みがかったのが一つしかなかったので、夜は電燈のコードの届かない部屋にいく時、昔のカンテラを点してはいっていった。 夜はもちろん寂しくて、裏の竹薮がざあざあと鳴り、寒い晩には、背戸山で狢のなく声がした。昼でも寂しかつた。あたりにあまり人がみられなかつた。
 おばあさんというのは、夫に死に別れ、息子に死に別れ、嫁に出ていかれ、そしてたった一人ぼっちで長い間をその寂莫の中に生きて来たためだらうか、私が側によっても私のひ弱な子供心をあたためてくれる柔い温ものをもっていなかった。

(<無題>「常夜燈の下で」より)



4歳で母を亡くし、6歳で継母を迎え、その継母に子供、つまり弟ができる。
その後、おばあさんに引き取られ、ぬくもりのない家に二人きりで生活をした。

・・・なんという淋しい子供時代でしょうか。

子供には無条件で受け入れてくれる人が必要だと思います。
必ずしも本当の親でなくてもいい、
無条件で愛してくれる人の存在があってこそ
こころは満たされ安定し、困難に立ち向かっていく力を育むことが
できるのではないでしょうか。
そうして環境や他人に左右されない本当の「自己」というものを確立していくことが
できるのではないでしょうか。

自分はいなくてもいい存在、
いてはいけない存在、
誰からも必要とされない存在・・・
そんな風に感じながら
それでも誰かにすがって生きなければならない子供だったとしたら。

無意識のうちに奥深いところにあるものが「自己否定」になってしまっても
仕方のないことだと思います。

南吉は成績がよかったそうですが
自分を認めてもらおうと必死でよい子になろうとしたのであったなら
なんともけなげで哀れなものを感じます。

もちろん、子供の頃そういう想いをしながらも
大人になるにつれて様々な出会いをくり返しながら
かけがえのない愛情を得て
幸せに暮らしている人はたくさんいると思います。
逆境をバネに、立派になった人もたくさんいると思います。

南吉も、その短い生涯のうちに
すぐれた童話や作品をたくさん残しました。

同じような境遇の子供が、南吉のことを知って
自分にも、なにかできるかもしれない、
と勇気をもらえるかも知れません。

とはいえ、やっぱり、子供はみんな
愛情を充分与えられ、幸せに育てられることが望ましいと思います。

南吉のお話が、なんともいえない悲しみに満ちているのは
彼の幼少の育ち方が
大きく影響しているのかもしれないと感じました。
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by signaless5 | 2009-10-20 09:00 | 童話

どんぐりと山猫

小学生の娘が「どんぐりと山猫」を読みたいというので
本を見せると、読めないといいます。
習っていない漢字が多い、というのです。
と、いうのは言い訳で、ほんとうはめんどうなのかもしれません。
(実はうちには賢治の「絵本」というものがほとんどありません。)

そこで、久々に、寝る前に読んでやることにしました。

読んでいるうちに、
なんだか胸がいっぱいになってしまい、読む声が止まってしまいました。
娘がけげんな顔をするので
あわててお話に集中するようにしましたが・・・。

賢治についての研究書や論文などを読むことはあっても
童話をじっくり読む、ということは少なくなりました。
でも、それはまるで本人のいないところでその人の話をしている
ということに似ているような気がします。

文字を追っているうちに
このひと言ひと言が、すべて賢治の頭の中で生まれたもので
ずべて賢治自身の言葉なのだと思ったら
それはまるで、もう、自分がいま、
賢治自身と話をしているのと同じというような気がして
賢治が私に話しかけているのだと感じて
胸がいっぱいになってしまったのです・・・。



山猫:「裁判ももうきょうで三日目だぞ。いい加減に仲なおりしたらどうだ」
どんくりたち:「・・・なんといったって頭のとがっているのがいちばんえらいんです」「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです・・・」がやがやがやがや
山猫:「やかましい。ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ」

これが三回繰り返されるのですが
読んでいるうちに思わず吹き出してしまいました。

賢治が清六さんと喜劇を見に行って
同じことを三回繰り返すことが笑いのパターンだと言ったというようなことを
何かで読んだ気がしますが、
賢治もここでちゃんとそれを使っているというわけでしょうか・・・。

なぜか今まで気にも留めていなかったことですが
声を出して読む、ということも、いいことかもしれません。

娘に読んでやるつもりが
自分によんでやった、というような感じになってしまいました。
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by signaless5 | 2009-10-18 10:39 | 童話

カムパネルラ

引き続いて「銀河鉄道の夜」について。

面白いことに、最終形と初期形では
カムパネルラとジョバンニの関係は微妙に違っています。
最終形では、カムパネルラとジョバンニは親友でした。

ところが初期形では、カムパネルラはジョバンニの一方的な
あこがれの対象なのです。

そして、天気輪の丘に登ったところで
初期形にはこんな独白があります。

(ぼくはもう、遠くへ行ってしまひたい。みんなからはなれて、どこまでもどこまでも行ってしまひたい。それでも、もしカムパネルラが、ぼくといっしょに来てくれたら、そして二人で、野原やさまざまの家をスケッチしながら、どこまでもどこまでも行くのなら、どんなにいいだらう。カムパネルラは決してぼくを怒ってゐないのだ。そしてぼくは、どんなに友だちがほしいだらう。ぼくはもう、カムパネルラが、ほんたうにぼくの友だちになって、決してうそをつかないなら、ぼくは命でもやってもいい。けれどもさう云はうと思っても、いまはぼくはそれを、カムパネルラに云へなくなってしまった。一緒に遊ぶひまだってないんだ。ぼくはもう、空の遠くの遠くの方へ、たった一人で飛んで行ってしまひたい。)

それまでにカムパネルラがジョバンニを悪く思ったり
二人が喧嘩をしたりする場面などは出てこないので
この「カムパネルラは決してぼくを怒っていない」というのが
唐突に感じます。

これはどういうことでしょう。

このカムパネルラのモデルが主に
賢治の妹トシである、という人と
親友だった保阪嘉内であるという人があると思いますが

私は、やっぱり嘉内のことを投影しているのではないかと思います。
もちろん嘉内ひとりだけでなく、トシや他の人のことも
カムパネルラという人物には複合されているのだと思いますが。

賢治と嘉内は、一般に大正10年7月に「訣別」した、とされています。
それがほんとうにそうであったかは大いに疑問があるところですが
(その件については、別の記事で詳しく書くつもりです)
二人の間でなにかしらの議論はあったのではないかと思います。

そしてその後二人は、物理的にも、仕事や生活・活動の忙しさなどからも、
もうおたがいに容易に会うことはできなくなってしまいます。

カムパネルラは絵がとても上手だという設定ですが
保阪嘉内もまた、残されたスケッチ帳などを見ると
それは大変素晴らしいもので、才能があったと思います。

「二人で、野原やさまざまの家をスケッチしながら」とあるのも
嘉内は絵が上手であり、
また事象をまるでスケッチでもして歩くように短歌に連作したりしていましたし
賢治は「心象スケッチ」なるものを綴るようになった・・・
ということを思わせます。

そういうところからも私はやはり
カムパネルラは嘉内の部分が大きくて
賢治はほんとうはどこまでも嘉内と一緒に行きたいと
最後まで思っていたのではないかと感じるのです。
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by signaless5 | 2009-10-17 10:36 | 童話

青い琴の星

今日は、賢治の童話「銀河鉄道の夜」についてです。

ジョバンニはザネリたちにからかわれ、
彼等と一緒にいた親友カムパネルラさえも、
気の毒そうにしながらも口笛を吹いて行ってしまいました・・・

そしてジョバンニはひとり暗い丘をのぼって行きます。
頂の天気輪の柱の下で、からだを冷たい草に投げ
遠くの野原をゆく汽車の音を聞きました。
小さな列車の窓の中にはたくさんの旅人が
苹果を剥いたり、わらったりしていると思うと、
もうなんとも云えずかなしくなるのです・・・


 そしてジョバンニは青い琴の星が、三つにも四つにもなって、
 ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、
 たうとう蕈のやうに長く延びるのを見ました。
 またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりした
 たくさんの星の集まりか一つの大きなけむりかのやうに
 見えるやうに思ひました。


私は以前から、この「青い琴の星が、三つにも四つにもなって、
ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、
たうとう蕈のやうに長く延びる」という描写は
ジョバンニのある様子を表してしているのだと思っていました。

それは・・・
きっと、ジョバンニの眼には
涙があふれていたのです。

涙にぬれた眼で光をみると
瞬きに合わせて、光の脚が延びるのです・・・。


私は誰ともこの部分の話をしたことはありませんし
聞いたこともありませんから、
これが合っているのか
当たり前のことかどうかさえわかりませんが・・・
どうでしょうか・・・。
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by signaless5 | 2009-10-16 09:00 | 童話

やまなし

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先日、家族が登山道の整備のボランティアに参加して
実のなった枝を持ってきました。

一緒に参加した人に
「梨の原種で、珍しいんだよ」と言われて
持ち帰ってきた、といいますが・・・・

これはもしや、
「やまなし」・・・・?

実の直径は2~3㎝です。

賢治の『やまなし』がどの種類の木かは諸説あるようですが・・・・。

「トプン」と落ちてくるのは
やっぱりこれくらいの大きさのような気がします。

クラムボンは今ごろもかぷかぷわらっているでせうか・・・。

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by signaless5 | 2009-10-05 18:43 | 童話

貝の火・ホモイの目

賢治の童話に『貝の火』というのがあります。

ウサギの子どもホモイが、川で溺れているヒバリの子を助けて
鳥の王様に宝物の「貝の火」という玉をもらうお話です。

ホモイは、お父さんの忠告も聞かず
そのうちに調子に乗って
キツネにだまされて悪いことをしてしまい
とうとう「貝の火」を曇らせてしまいます。
そしてそれがはじけて、粉が目に入り、見えなくなってしまいます。

私はずっと、なぜホモイは目が見えなくなってしまうのか
そこまで残酷に罰せられなくてもいいのに・・・という気がしていました。

でも、この「目が見えなくなる」ということは
ものごとの善悪、正しいこと間違っていること
そういうことの判断ができなくなってしまうということなのかもしれない、
とふと思ったら、何となくわかるような気がしました。

人は「慢」に陥ると、自分の立場や人の心がわからなくなり
傍若無人に振る舞い、大切なことを無くしてしまう・・・。

最後にお父さんがいう言葉
「泣くな。こんなことはどこにもあるのだ。それをよくわかったお前は、一番さいはいなのだ。目はきっと又よくなる。お父さんがよくしてやるから。な。泣くな。」
これはただのなぐさめではなく、
ほんとうに救いになっているような気がするのです。

ホモイはこれから心を入れ替えて
謙虚に努力して生きていくなら、きっとまた目が見えるようになるのだよ、と
賢治は言いたかったのかもしれません。


ホモイがヒバリを助けたのは鈴蘭の花がしゃりんしゃりんと鳴ったとき、
そして病気がすっかりよくなって、うちからでられるようになったのは、
その鈴蘭にみんな青い実ができた頃・・・・。
私は賢治の、こういう何気ない表現が
たまらなく美しく、愛おしいと思うのです。
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by signaless5 | 2009-04-19 16:04 | 童話