『「宮沢賢治」の誕生』大角修

『「宮沢賢治」の誕生』大角修著(中央公論社)を読みました。

賢治の短歌と年譜、記録等をもとに
大正10年(1921)の賢治、
特に4月の父・政次郎との関西旅行を中心に
賢治にとっての「法華経」と、文学との関係に迫っています。
そしてこの時、私たちが知っている「宮沢賢治」が誕生したのだと。


確かにこの年を境に、
賢治は大きく変わったといえるでしょう。

芋虫はサナギになり、暗い店先で苦しんでいた。
東京に出たことが最後の仕上げとばかりに
蝶になって舞い戻ってきた…。
東京に家出をする前と、花巻に帰ってきてからは
それくらい違いがあるともいえると思います。

大角氏は、賢治の作品を「法華文学」としてしまうことに違和感を述べています。
<賢治の作品を法華経の経文や天台・日蓮教学に還元して解釈する作業は、作品の世界を分解して破壊してしまうことがないようにしんちょうでなければならない。>
たとえ賢治が自ら「法華文学」と記したのだとしても
それは賢治の心の覚えであって
表面に出されるべきものではないのだと。

全く同感、と頷きながら読みました。

賢治にとって、法華経やそのほかの宗派がどういうものであったか、
また、父と旅した比叡山や奈良における賢治の心情、
そして国柱会との関わりなど、
これまで靄がかかって見えなかった部分が
この本によって、払われ、よく見えてきた気がします。

しかし、大正10年7月頃にあったといわれている
保阪嘉内との激論については
全くといっていいほど触れられていません。
保阪嘉内との関係は、
賢治の生涯に多大な影響を与えていると思われ、
このことについて何も書かれていないのは
少し不思議な気もしますが
でも、それは置いておいても
この本から教わったことは非常に大きいです。

個人的にも興味深かったのは
私の故郷でもある「伊勢・二見」の旅について。
この伊勢参りが雨降りだったことは
短歌にうたわれている情景からわかりますが
これほどの悪天候だったとは!

大雨と強風の中、親子二人して
内宮の鳥居をくぐり玉砂利を踏んで白い石に額ずいた姿を想像し
心ふるえるような思いになりました。

さて、伊勢について詠まれた賢治の短歌をみると
「伊勢。」と題された8首。
「内宮」と題された3首。
「二見」の1首。
合計12首です。

これらの短歌と、この本に書かれている内容を見ると
ある疑問が浮上してきます。

それは、「賢治はこのとき外宮に行ったのか?」というものです。

本書P48の1~3行目にはこうあります。
伊勢神宮には外宮と内宮がある。外宮は産業の神である豊受大御神をまつる。山田駅から徒歩十分ほどの距離だ。境内の各所にある衛士見張所で門の名を聞いたりしながら五十鈴川の宇治橋に向かったのだろう。その橋を渡ると、皇祖天照大神をまつる内宮である。


一方、大正5年の修学旅行での伊勢神宮参拝は
『校友会々報』に賢治自身が記事を残しています。
<先ず外宮に参拝し自動車にて直ちに内宮に向ふ。>


大角氏の文章をもう一度見てみると、「山田駅から徒歩十分」なら外宮に違いありません。
しかし、境内の衛士見張所に寄りそれから五十鈴川の宇治橋を渡った、というと
これは内宮のことです。
まず外宮があって、その奥または隣に内宮があるかのように読めてしまいます。

外宮と内宮は距離にして5Km以上はあるでしょうか。
賢治の報告にあるように「自動車」で行く、
或いは徒歩にしてもかなり歩かなくてはいけません。


さらに賢治の短歌ですが
「伊勢。」とある8首がまるで外宮の描写のように
とらえられてしまうかも知れませんが
これらは恐らくすべて内宮の描写です。
五十鈴川というのは内宮の西側を通ってから北東に向かって伊勢湾に流れ込んでいます。
外宮は内宮の北西に位置し、五十鈴川は流れていません。

衛士見張所は外宮内宮どちらにもありますから
内宮といいきることはできませんが
少なくとも5首目以降は内宮のことです。
つまり、「伊勢。」とある8首、「内宮」とある3首はすべて
内宮の歌ともいえないことはありません。
なぜ、賢治は3首にのみ「内宮」としたのだろうか。
ちょっと不思議な気がします。
短歌での賢治にとって「内宮」は、正殿のことを意味するのでしょうか。


このような疑問も浮上しましたが
「あとがき」にもあるように
この本が生まれるきっかけは、宮沢賢治研究会の比叡山ツアーだったということです。
私もできれば参加したかったと心底思いました。

父と賢治の二人の旅。
それぞれの想いが交錯する。
比叡山の行程はかなりきついものだったらしい。
宿についたのは夜10時くらいとか。
それもまた旅の面白さのひとつかもしれません。
その時は疲れ果て、大変だったかもしれませんが
後々の語りぐさになったかもしれません。
それもなんだかある意味親子の絆のひとつになり得たのでしょうか。

伊勢から比叡山、奈良への旅。
一度この親子と同じルートをたどってみることができればいいなぁ。
そんな夢も生まれたのです。

このところ出会う、賢治関係の本は
どれも素晴らしいのですが
この本もまた、私にとても豊かなものを与えてくれた本でした。
何度も読めばさらに理解が深まると思います。

ちなみに、「比叡山セミナー」と下山ルートについては
この本にも参考サイトとして登場する
『宮沢賢治の詩の世界』に詳しく報告されています。
[PR]
by signaless5 | 2010-06-25 17:45 |