高等遊民~「市蔵」という名前から

『よだかの星』という童話は有名ですが
その中に、よだかが鷹に、改名しろと迫られるシーンがあります。

強く勇敢な鷹にとっては、弱く醜い「よだか」の名前に、
仮にも「鷹」がつくのは許せない、ということで
いっそ「市蔵」という名前に変えろと迫られます。

この「市蔵」という名前。
夏目漱石の『彼岸過迄』という作品の登場人物の名で
その昔にいわれた「高等遊民」だということです。

高等遊民(こうとうゆうみん)は、明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉であり、大学等の高等教育機関で教育を受け卒業しながらも、経済的に不自由が無いため、官吏や会社員などになって労働に従事することなく、読書などをして過ごしている人のこと。(wikipediaより)


いわゆる、ぶらぶら遊んでいるお金持ちのインテリのボンボン
ということでしょう。

しかし、よだかは決して恵まれた境遇にあるわけでもなく
ここにこの「市蔵」という名前が出てくるのは
「高等遊民」という存在自体が一般的に
やっかみ半分、軽蔑されていたからでしょうか。
それとも、賢治自身の負い目みたいなものと関係しているのでは…と思ったりします。


先日、友人に誘われて三重県立美術館へ行き
川喜田半泥子(かわきたはんでいし)という人の美術展を見てきました。
1878年、豪商の裕福な家に生まれ、
百五銀行の頭取を勤め
陶芸や書・絵画をなどの多数の作品を残した人です。

会場では、当時珍しかった映写機で自分が陶芸をしている様子や
仲間とテニス大会をしている映像も放映されていました。

それを見て私は賢治の詩、[あすこの田はねえ]を思い出しました

   これからの本統の勉強はねえ
   テニスをしながら商売の先生から
   義理で教はることでないんだ

半泥子は、“テニスをしながら商売をした人”だったのですね。
それはある意味非常に幸せなこと。
「ケセラセラ(=なるようになるさ)」をモットーにしていたようですが
そういう心の持ち方は、苦しみや困難を乗り越えるためには
大切なことかも知れません。

ただ、やはり賢治好きの私としては
賢治と半泥子、二人の生涯のあまりの違いに、
形容しがたいものを感じてしまいました。

賢治も、本来はそれなりの仕事をし、
自分の楽しみの為だけに生きられる立場の人だった。
そのように生きたとしても、
だれも非難などしなかったでしょう。
逆に財を使って誰にもわかり目に見える仕事をすれば
ありがたがってもらえたかも知れない。
それを、あえて自ら選んで困難な道に進んだ賢治に対し、
どうしようもない重い哀しみのようなものを感じ
しばらく呆然としてしまいました。

賢治は端から見れば「高等遊民」に見えたのかも知れませんし
私のまわりにも、言葉こそ違えど、
たぶんそれと同じようにしかとらえていない人もいます。

しかしながら、もし賢治がそのような生涯を送ったとしたら
作品だって違うものになっていたであろうし
私が賢治をこれほどまでに好きになったかどうか。

私にとって、宮沢賢治は不思議な人であるけれど
宮沢賢治があのような宮沢賢治だったからこそ
何年もずっと追いかけていながら
少しも飽きることなく
なお深く索めたくなる人であることに違いはありません。
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by signaless5 | 2010-06-17 13:35 | 思うこと