インドラの網(その2)

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「インドラの網」についてもう少し。

私はこの「インドラの網」というのは、
いったい何のことなのか、
よく解らない感じがずっとありました。

あるいはインドラの宮殿を覆う網であるとしても
空にかかる網とはいったい、なんだろう。
この場合は賢治の想像?空想?幻覚?
それにしても不思議な感じ。

ところが最近、新聞のあるコラムで
「帝釈天がかけた網」について書かれているのを読み
なるほど、そういうことだったのかと合点がいきました。

それは仏典のたとえで
要約すると
帝釈天が世界に網をかけた。
その網目は他の編み目と無限につながっていて
その全体が網である。
個が単に集合して全体なのではなく
個の限りない「関わり合い」の総体が全体である。
たから網がなければ網目もないが、網目が一つでもなくなると網もなくなる。
これは仏教の縁起の社会観である。
・・・ということだそうです。
「帝釈天」とはインドラのことです。

確かに私たちは他との関わり合いなくしては生きられない。
どんなに引きこもろうと
たとえ無人島に置かれようと
その人がそこにある、つまり生を受けたというそのことだけ見ても
その人の存在自体、他と切り離してはあり得ないこと。
もっと広い意味で宇宙全体としてとらえても同じ事であり
人間だけでなく、あらゆる生き物、物質との関わりなくして
なにものも存在はできない・・・。

・・・ということだと思います。


賢治がどういう風に「インドラの網」をとらえていたのかはわかりませんが
ただ幻想としてインドラの宮殿を覆う光の網を想像するのと
そういう意味を持った網を想像するのとでは
また作品に対する味わいの深さも変わってくると思うし
賢治の「想い」のようなものに対する感じ方もちがってくるかもしれません。
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by signaless5 | 2009-10-30 12:38 | 童話