2009年 10月 18日
どんぐりと山猫
本を見せると、読めないといいます。
習っていない漢字が多い、というのです。
と、いうのは言い訳で、ほんとうはめんどうなのかもしれません。
(実はうちには賢治の「絵本」というものがほとんどありません。)
そこで、久々に、寝る前に読んでやることにしました。
読んでいるうちに、
なんだか胸がいっぱいになってしまい、読む声が止まってしまいました。
娘がけげんな顔をするので
あわててお話に集中するようにしましたが・・・。
賢治についての研究書や論文などを読むことはあっても
童話をじっくり読む、ということは少なくなりました。
でも、それはまるで本人のいないところでその人の話をしている
ということに似ているような気がします。
文字を追っているうちに
このひと言ひと言が、すべて賢治の頭の中で生まれたもので
ずべて賢治自身の言葉なのだと思ったら
それはまるで、もう、自分がいま、
賢治自身と話をしているのと同じというような気がして
賢治が私に話しかけているのだと感じて
胸がいっぱいになってしまったのです・・・。
山猫:「裁判ももうきょうで三日目だぞ。いい加減に仲なおりしたらどうだ」
どんくりたち:「・・・なんといったって頭のとがっているのがいちばんえらいんです」「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです・・・」がやがやがやがや
山猫:「やかましい。ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ」
これが三回繰り返されるのですが
読んでいるうちに思わず吹き出してしまいました。
賢治が清六さんと喜劇を見に行って
同じことを三回繰り返すことが笑いのパターンだと言ったというようなことを
何かで読んだ気がしますが、
賢治もここでちゃんとそれを使っているというわけでしょうか・・・。
なぜか今まで気にも留めていなかったことですが
声を出して読む、ということも、いいことかもしれません。
娘に読んでやるつもりが
自分によんでやった、というような感じになってしまいました。
by signaless5
| 2009-10-18 10:39
| 童話