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どんぐりと山猫

小学生の娘が「どんぐりと山猫」を読みたいというので
本を見せると、読めないといいます。
習っていない漢字が多い、というのです。
と、いうのは言い訳で、ほんとうはめんどうなのかもしれません。
(実はうちには賢治の「絵本」というものがほとんどありません。)

そこで、久々に、寝る前に読んでやることにしました。

読んでいるうちに、
なんだか胸がいっぱいになってしまい、読む声が止まってしまいました。
娘がけげんな顔をするので
あわててお話に集中するようにしましたが・・・。

賢治についての研究書や論文などを読むことはあっても
童話をじっくり読む、ということは少なくなりました。
でも、それはまるで本人のいないところでその人の話をしている
ということに似ているような気がします。

文字を追っているうちに
このひと言ひと言が、すべて賢治の頭の中で生まれたもので
ずべて賢治自身の言葉なのだと思ったら
それはまるで、もう、自分がいま、
賢治自身と話をしているのと同じというような気がして
賢治が私に話しかけているのだと感じて
胸がいっぱいになってしまったのです・・・。



山猫:「裁判ももうきょうで三日目だぞ。いい加減に仲なおりしたらどうだ」
どんくりたち:「・・・なんといったって頭のとがっているのがいちばんえらいんです」「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです・・・」がやがやがやがや
山猫:「やかましい。ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ」

これが三回繰り返されるのですが
読んでいるうちに思わず吹き出してしまいました。

賢治が清六さんと喜劇を見に行って
同じことを三回繰り返すことが笑いのパターンだと言ったというようなことを
何かで読んだ気がしますが、
賢治もここでちゃんとそれを使っているというわけでしょうか・・・。

なぜか今まで気にも留めていなかったことですが
声を出して読む、ということも、いいことかもしれません。

娘に読んでやるつもりが
自分によんでやった、というような感じになってしまいました。
by signaless5 | 2009-10-18 10:39 | 童話