宗教と科学と・・・そして芸術

宗教と科学の融合、
賢治はそれだけでなく
「芸術」もそこに加えるべきだと考えていたのでしょう。

「万物を司る大きな存在」を感じることが宗教とすると
それを証明することが科学、
その感動を表現し伝えるのが芸術といえるでしょうか。

賢治はそのどれもを索めた・・・。

美しい賢治の作品に感化・共鳴して
私たちもまた自身で体感していく。


小十郎がすぐ下に湧水のあったのを思ひ出して少し山を降りかけたら愕いたことは母親とやっと一歳になるかならないやうな子熊と二疋丁度人が額に手をあてゝ遠くを眺めるといった風に淡い六日の月光の中を向ふの谷をしげしげ見つめてゐるのにあった。小十郎はまるでその二疋の熊のからだから後光が射すやうに思へて釘付けになったやうに立ちどまってそっちを見つめてゐた。すると小熊が甘へるやうに云ったのだ。「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなってゐるんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん」すると母親の熊はまだしげしげ見つめてゐたがやっと云った。「雪でないよ、あすこへだけ降る筈がないんだもの。」小熊はまた云った。「だから溶けないで残ったのでせう。」「いゝえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです。」小十郎もぢっとそっちを見た。
月の光が青じろく山の斜面を滑ってゐた。そこが丁度銀の鎧のやうに光ってゐるのだった。しばらくたって小熊が云った。「雪でなけぁ霜だねぇ。きっとさうだ。」ほんたうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃(コキエ)もあんなに青くふるえてゐるし第一お月さまのいろだってまるで氷のやうだ 小十郎がひとりで思った「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花」「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ。」「いゝえ、、お前はまだ見たことがありません。」「知ってるよ、僕この前とって来たもの。」「いゝえ あれひきざくらでありません、お前とって来たのきさゝげの花でせう。」「さうだろうか。」小熊はとぼけたやうに答へました。小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向ふの谷の白い雪のやうな花と余念なく月光をあびて立ってゐる母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないやうにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思ひながらそろそろと小十郎は後退りした。くろもぢの木の匂ひが月のあかりといっしょにすっとさした。
          (「なめとこ山の熊」新校本宮沢賢治全集第10巻より抜粋)


賢治もおそらくこいつかどこかで
このような光景をみたことがあったのでしょうか。
これを読むたび、私も小十郎といっしょになって
春の山で胸をいっぱいにして、
こっそりこっそり後退りしているような気になるのです。

輝かしい命への慈しみ、畏敬、喜び。
ひと言で言えば「光」を見たのかもしれません。
その光とは、「いみじい生物の名前」なのでしょう。

同じ場面に出くわして
「うわっ、熊だ、逃げろ」と思うか
ふたつの尊い“命”を見て涙を流すか・・・。

そこが賢治と私の違いかもしれませんが
「こんなに美しいものをみたよ」と賢治が語りかけてくれているのを
すこしでも受けとることができるように
これからも耳を澄ませていきたいと思うのです。
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by signaless5 | 2009-09-24 20:55 | 賢治