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嘉内との出会い

私が嘉内と出会ったのは、実は、とても早い時期です。

賢治と出会ったのは、高校2年生の春頃。
嘉内との出会いも、ほぼそれと同じでした。

文庫本を何冊か買って賢治作品を読み始めたとき、
書店で見つけた一冊の本がどうしても欲しくなりました。
その時、持ち合わせのなかった私は
次の日におこづかいを握りしめて(?)買いに行った記憶があります。

それは保阪庸夫・小沢俊郎著「宮沢賢治 友への手紙」という本でした。
賢治と出会った年の、7月13日、夏休み前のことでした。

ごく最近になって、裏表紙に自分で書いた日付を見て、
こんなに早かったのかと我ながらとてもびっくりしたのです。
恐らく、私が買った作品以外の賢治本の、第一号でした。

この本は、ご存じの方も多いかと思いますが
賢治が嘉内に宛てた現存している73通の手紙を
詳しい解説とともに収録してあるものです。

手紙というものは、特定の人に宛てて書かれたものなので
仲のよい相手、気心の知れた相手であればなおさら
なにも包み隠さないストレートな表現だったり、
他の人には言えないようなことも書いたりします。
特にこれら賢治の嘉内宛の手紙は、
時にあまりに激しく、これでもかという程に、ありのままの自分をぶつけています。

それでも私は、それらを読みながら
嘉内を賢治にとっては「青春の日のかけがいのない親友だった」としか捕らえていませんでした。
あくまでも過去形で。

ところが、2007年秋。
山梨県立文学館で行われた「73通の手紙展」で受けた衝撃は
とても大きなものでした。
その時にも非常に感動しましたが
それ以上にあとからの余波の方が大きいような、
とんでもない不思議なものでした。

活字になったものを読むのと、
賢治の直筆の現物を見るのとは雲泥の差。
伝わってくるものがまったく違いました。

嘉内はありのままの賢治を、しっかりと受け止めていたのでしょう。
嘉内もまた、きっと、自身の悩みや迷いを赤裸々に綴ったことでしょう。
ふたつの魂が真っ向からぶつかり合う姿をそこに見ました。

私はそれまで長い間賢治を追いかけながら、
いったい何を見ていたのでしょう。
それまで漠然とわからなかったことや不思議だったことが
嘉内という人に光を当てることで、いっぺんに見えてきたのです。
嘉内が賢治に与えた影響の大きさに、やっと気付いたのです。

もちろん、ひとそれぞれ、感じ方や考え方もあると思いますが
私が長年、賢治を見つめてきた上で
ようやくたどりついたことです。
しかも、これは結論とかゴールではなく
ようやく『賢治』という人にたどり着いたスタート地点。
それまでは、まだ入り口にも立っていなかったような気がします。


賢治がいつもイメージしていた「ふたつがひとつになるもの」、
たとえば一本杉、例えば合流する川、やどりぎだってそうかもしれませんが
それらはみな、嘉内との交流を望んだ賢治の願いの現れのような気がします。


私が嘉内とほんとうに出会ってから、
賢治が抱いていたであろう、悩みや苦しみ、
そして深い深い悲しみ・・・。
それらのひとつひとつが、手に取るようにわかるようになった、
といってもいいかもしれません。

聖人、天才、救世主。
そんなものではなくただの人として、
賢治は嘉内と共に、初めて私の前に姿を現しました。
by signaless5 | 2009-07-09 19:41 | 嘉内